11月の日本旅程1日目(長崎県1日目 食事編)
(11月15日 月曜日)
目次
1、トルコライス
今回の長崎、福岡旅行の食事は波乱のスタートでした。私が長崎駅に到着した時点で10:38だったのですが、高島行の高速船「俊寛」の出航時刻が11:50でしたので、すぐ昼食を食べることが必要でした。しかし、長崎駅や長崎港ターミナル周辺で11時開店の店を探しても見つからず、全て11:30開店でした。11:30に入店すると高速船に乗り遅れる可能性がありましたので、泣く泣くコンビニで弁当を買うことを選択せざるを得ませんでした。
長崎港ターミナル近くのコンビニ「デイリーヤマザキ」で長崎の御当地グルメである「トルコライス」弁当を買い、高速船の中で食べることとなりました。トルコライスとは和食のトンカツ、中華のピラフ、洋食のスパゲッティが一緒に皿に盛られた食べ物です。和食、中華、洋食という食文化のミックス感が、東西の文化が交わるトルコに通じるということで、トルコライスという名前がついたという説があります。長崎の郷土料理である卓袱(しっぽく)料理も和食、中華、洋食をテーブル(卓)に料理を乗せて食事を行う点に特徴があるので、現代版の卓袱料理と言っていいのかもしれません。
私はトルコに行ったことがありますが、トルコには日本のトルコライスのような食べ物は存在しません。そもそも、イスラム教徒であるトルコ人は豚肉は食べません。ナポリにナポリタンがなく、台湾に(日本の)台湾ラーメンがないように、日本人が得意とする独自のネーミングをつけた食べ物の一種です。ただし、外国人はこれらの独自ネーミングに混乱すると思います。和製英語もそうですが、日本人は言語を独自にアレンジし過ぎなのではないでしょうか。
2010年に長崎市は9月16日を「トルコライスの日」と設定しました。9月16日はトルコの軍艦エルトゥールル号が遭難し587名が亡くなった日です。しかし、先述のように、トルコには豚肉を食べる習慣はなく、多くのトルコ人犠牲者が出た日を「トルコライスの日」とする趣旨についてトルコ大使館から長崎市に質問がありました。その結果、長崎市は2013年に「トルコライスの日」を中止しました。とても恥ずかしく、お粗末な事件でした。安易に外国名や海外の地名を付けるならば、十分な配慮が必要であり、「トルコライスの日」はその教訓にすべきでしょう。
なお、多くの日本人はトルコの軍艦エルトゥールル号の遭難について知らないと思いますので、簡単に遭難事件についてまとめてみます。1890年9月16日、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として来日したエルトゥールル号がトルコへの帰路に紀伊大島の大島村(現在の串本町)沖で岩礁に激突し沈没しました。大島村の人たちが懸命な救出活動を行い、69名が救出されました。この救出活動に対して、トルコが日本と日本人に対し今でも好印象を抱いています。トルコが世界屈指の親日国であるのはこの遭難事件がきっかけと言われています。
また、遭難事件から100年以上経過してもトルコの教科書でこの遭難事件と日本人の救出活動を教えています。その恩返しでイラン・イラク戦争の際に日本人のイラン・テヘランからの脱出を救援機で救ってくれたのがトルコでした。また、私がトルコへ旅行した際にも、日本人というだけの理由で食事や果物を多くのトルコ人からごちそうになりました。
話は戻りますが、「デイリーヤマザキ」のトルコライス弁当は税込432円と格安でした。値段の安さから味に不安がありましたが、及第点の味で十分美味しかったです。この味のレベルでこの価格で提供できるのは日本のコンビニの実力だと思います。東京オリンピック・パラリンピックでも外国人記者たちが日本のコンビニでの食事に大喜びしていたことが記憶に新しいです。
高速船内はラウンジとテーブルもあったので、綺麗な海の景色を見ながら、優雅にトルコライスを食べることができました。旅行の最初の食事は波乱含みでしたが、結果的には長崎の御当地グルメである美味しいトルコライスを食べられてよかったです。ただし、「トルコライスの日」のことは日本人として忘れないようにしようと思います。
2、吉宗(よっそう) 本店
崇福寺を訪問後、「吉宗(よっそう)」で食事をしました。「吉宗」は1866年に創業者の吉田宗吉信武が吉宗を屋号として、茶碗蒸し、蒸寿し専門の店として開業しました。明治維新(1868年)の2年前の創業という歴史ある店となります。老舗というだけでなく、現在でも食べログにおいて長崎市で2位(長崎県で8位)の飲食店と評価を受けており、暖簾に胡坐をかいていないことが素晴らしいと思います。
現在の建物は1927年(昭和2年)に建てられた歴史ある建造物です。2012年に大規模改修され、建物の外観は風情を残しながらも内部は居心地の良い和空間となっています。
私が食べたのは「吉宗定食」(2,420円)です。吉宗伝統の茶碗蒸し、蒸寿しと長崎の郷土料理である豚肉の角煮(卓袱料理にも含まれる東坡煮)と小鉢(フカヒレ、きんぴらゴボウ、カブ漬物、みかん)がついた定食です。茶碗蒸しなど蒸し料理は提供に時間がかかると思っていたのですが、せいろで保温しているので、提供時間は5分程度と驚きの速さでした。従来、吉宗は卓袱料理を提供していたのですが、残念ながら現在は休止していました。特に、熱々の茶碗蒸しが具沢山(穴子、海老、鶏肉、しいたけ、銀杏など)で美味しかったです。伝統の味を現代でも美味しく提供できる素晴らしい店だと思いました。店員さんたちも愛想がよく、素晴らしいサービスでした。
3、多ら福 亜紗
今回の旅の主目的である魚介類を食べてなかったので、「吉宗(よっそう)」の後に、居酒屋「多ら福 亜紗」に行きました。「多ら福 亜紗」は前回の長崎旅行の際にも行ったのですが、料理がとても美味しく、店員さんたちのサービスも良いので再訪しました。
「多ら福 亜紗」は「吉宗」と違って「若い」店です。お店のホームページには創業32年とあります。私が言う「若い」店とは創業年数ではなく、店員さんたち(料理人を含む)が全て年齢的に若いということです。おそらく全員が20歳代か30歳代前半の若さだと思います。こうした若者だけで人気店を運営できていることが素晴らしいと思います。アルバイトを含む従業員の教育がとてもしっかりしているのでしょう。こうした元気のある居酒屋に入るとうれしくなります。亜紗グループは長崎市内に7店舗を構えていますが、長崎での食事の際にはお勧めの居酒屋グループです。
「多ら福 亜紗」で私が食べたのは、刺身盛り合わせ(ヒラメ、活鯖、ヒラス(ヒラマサ)、鰹、カジキマグロ、タコ、ミズイカ、ホタテ、赤貝)、活鯖の刺身、銀杏、「きんふぐ」のしそ天ぷらでした。刺身盛り合わせは2名からとなっていましたが、1名用も作ってくれました。全国2位の海岸線を持ち漁獲量が多い長崎の魚介類は本当に美味しかったです。
なお、長崎県で刺身を食べる際に、前知識として醤油も日本酒も甘口であるということを覚えておく必要があるでしょう。長崎では出島の存在により、江戸時代の鎖国下でも海外との貿易ができ、砂糖を輸入していました。その砂糖を佐賀、小倉を経由して京都や大阪、江戸に運んでいました。長崎と小倉を結ぶ街道を長崎街道と呼び、砂糖の運搬が多かったことから「シュガーロード」と呼ばれています。長崎でカステラなど砂糖を使用したお菓子が多いのもこうしたことが背景にあります。こうした歴史的な背景などから甘いものが好まれ、醤油も日本酒も甘口が多いことに繋がっていると考えられます。
なお、この甘さを好む傾向は長崎県に限らず、九州全体に言えます。九州で獲れた魚介類や熊本の馬刺しなどは甘い醤油によく合います。その土地の特産品をその土地の調味料で食べることが一番美味しい食べ方でしょう。
「きんふぐ」とはシロサバフグのことです。宮崎県で「みやざき金ふぐ」としてブランド化されました。私がこの日に食べたのは対馬産でしたが、宮崎県のブランド河豚にあやかって、メニューに「きんふぐ」と書いたのだと思います。なお、福岡県ではカナトフグ(旬は8月~12月)と呼ばれ、全国漁業協同組合連合会が福岡県の秋の「PRIDE FISH」に選んでいます。
シロサバフグには銀色味の強い個体と黄金色の個体がいます。宮崎県では外見に傷がなく、金色の魚体をもったものだけを「みやざき金ふぐ」として出荷しています。シロサバフグは身も皮も内臓も無毒という河豚の中では珍しい種類です。私は今回、ちょうど旬の時期に美味しい「きんふぐ」を食べられました。
「多ら福 亜紗」には18時過ぎに多くの客が来店しましたが、ほとんどの客が予約で満席となっていたので断られていました。最も居酒屋に人が行かない月曜日でもこの人気ぶりはすごい店です。私は前回に引き続き17時に店に行ったので予約なしでも入れましたが、予約はしたほうがいいと思います。
(注:文中に掲載している交通機関の出発・到着時間や運賃、入場料、食事の料金などはBLOG執筆時のものです。今後変更する可能性がありますので、旅行に行く際にご自身でご確認ください。)