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3月の日本旅程1日目(広島県)

3月の日本旅程1日目(広島県)

(3月22日 火曜日)

 

目次

1、不動院

2、世界平和記念聖堂

3、縮景園

4、広島城

5、原爆ドーム

6、原爆の子の像

7、広島平和記念資料館

8、白神社(しらかみしゃ)

 

1、不動院

3月22日(火)から3泊4日で広島県、岡山県を旅行しました。今回も荷物を旅行先に送り、「手ぶら旅行」を楽しみました。

まず、羽田空港から広島空港へ飛びました。私が利用した飛行機は以下の通りです。

羽田空港8:15発 ANA673便 広島空港9:45着

広島空港に到着し、リムジンバスで広島市内に行きました。私が利用したリムジンバスは以下の通りです。

 広島空港10:05発 広島駅新幹線口10:55着 運賃1,370円

広島市内に到着後、お好み焼きを食べ、不動院に向かいました。私が利用した公共交通機関は以下の通りです。

広島駅12:00発 山陽本線 大野浦行 新白島駅12:03着

新白島駅12:10発 アストラムライン 長楽寺行 不動院前駅12:14着 運賃合計380円

不動院前駅から不動院まで徒歩2分程度です。

不動院が建てられた時期は明らかではありませんが、平安時代(794年~1185年)の終わり頃には寺が存在していたと考えられています。不動院は一時期衰退しましたが、毛利氏の外交僧で豊臣秀吉の側近にもなった安国寺恵瓊(あんこくじえけい)により復興されました。

1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により不動院も被爆しました。不動院は爆心地から約3.90kmに位置しており、爆風により金堂の屋根の一部が吹き飛ぶなどの被害があったものの、倒壊は免れました。不動院は被爆者の受け入れ先となり、境内にはたくさんの負傷者、死者で溢れかえりました。

1540年に建てられた金堂は国宝です。原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島市は文化財の多くも破壊消滅してしまいました。原子爆弾の被害が最小限に済んだ不動院は広島市内に現存する唯一の国宝です。金堂は不動院が元禅宗であったことが良く分かる質素ながら力強い建物です。

不動院の金堂

不動院の金堂

国宝の金堂以外にも楼門(1594年の建築)、鐘楼(1433年の建築)は国の重要文化財です。楼門も元禅宗らしい素晴らしい門でした。

不動院

不動院

後述する平和記念公園には多くの観光客がいましたが、不動院にはほとんど人がいませんでした。平和記念公園からのアクセスもいいので、多くの人に訪れて欲しい寺院です。

 

2、世界平和記念聖堂

不動院の素晴らしさを堪能した後、世界平和記念聖堂へ行きました。私が利用した公共交通機関は以下の通りです。

不動院12:48発 桐陽台・基町線 広島駅行 女学院前13:03着 運賃220円

女学院前のバス停から世界平和記念聖堂まで徒歩5分程度です。

世界平和記念聖堂はカトリック幟町教会(のぼりちょうきょうかい)の聖堂であり、1950年8月6日に着工され、1954年8月6日に竣工しました。設計は 日生劇場や新歌舞伎座など多くの名建築を手がけた建築家の村野藤吾氏です。

ドイツ人主任司祭フーゴ・ラッサールが原爆犠牲者を弔うだけでなく、全世界の友情と世界平和を祈念するための聖堂を新たに建設することを思い立ち、世界各地から届けられた浄財などにより世界平和記念聖堂は建設されました。

世界平和記念聖堂は2006年、丹下健三設計の広島平和記念資料館(本館)とともに、第二次世界大戦後の建築としては初めて国の重要文化財に指定されました。

世界平和記念聖堂

世界平和記念聖堂

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が1981年に広島を訪れた際に、世界平和記念聖堂にも立ち寄りました。今でもヨハネ・パウロ2世が座った椅子が展示されています。

世界平和記念聖堂

世界平和記念聖堂は外観も内部も素晴らしい建築物でした。不動院同様に、私の訪問時には世界平和記念聖堂には誰もいませんでした。世界平和記念聖堂も便利な場所にあるので、是非多くの人に訪問してもらいたい教会です。

 

3、縮景園

世界平和記念聖堂の後に、徒歩5分強の場所にある縮景園へ行きました。縮景園は1620年に完成した大名庭園です。広島藩の初代藩主である浅野長晟が命じて作らせた藩主の別邸が起源です。作庭は浅野家の家老であった上田宗箇(うえだ そうこ)です。上田宗箇は徳島城表御殿庭園や名古屋城二の丸庭園など多くの作庭を行い、茶道では上田宗箇流の流祖としても有名です。

縮景園

縮景園

縮景園は国の名勝で、日本の歴史公園100選にも選ばれています。桜の咲き始めの時期でもあり、多くの人で賑わっていました。

縮景園

入場料:大人260円、高大学生150円、小中学生100円

縮景園と広島県立美術館のセット料金:大人610円、大学生350円

広島県立美術館は縮景園の隣にあります。

 

4、広島城

縮景園の美しい景色を楽しんだ後、徒歩10分弱の場所にある広島城に行きました。

広島城は1591年に毛利輝元が入城したときからその歴史が始まります。毛利輝元が入城した際には未完成だった広島城は1599年に完成しました。完成当時は堀が三重に巡らされた大規模な城構えで、当時最大の大坂城に匹敵する規模の城だったといわれています。 名古屋城、岡山城と共に日本三大平城(日本三大平城は松本城、二条城、広島城とする説もあり)に数えらます。また、日本100名城に選定されています。国史跡にも指定されています。

広島城

広島城の天守閣は1945年の原子爆弾投下の影響によって倒壊しました。その後、1958年に鉄骨鉄筋コンクリート造により外観を復元されました。ただし、最上階の第5層のみ木造です。現在の天守閣は老朽化による耐震性の問題があり、木造による復元が検討されています。

広島城

入場料:大人370円、シニア(65歳以上)180円、高校生180円

 

5、原爆ドーム

次に、広島城から歩いて15分程度の場所にある原爆ドームに行きました。

原爆ドームは1915年に広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられました。被爆前は広島県産業奨励館と呼ばれていました。

広島県産業奨励館(原爆ドーム)は爆心地から東へ150mの場所にあり、爆風により3階建ての本体部分がほぼ全壊しましたが、中央のドーム部分や枠組みと外壁を中心に残りました。ただし、館内にいた人はすべて即死しました。

原爆ドーム

1996年12月に核兵器の惨禍を伝える建築物として世界遺産に登録されました。

 

6、原爆の子の像

原爆ドームから元安橋を渡ってすぐの場所にある「原爆の子の像」は2歳のときの被爆による白血病で12歳で死去した佐々木禎子さんをモデルとした像です。佐々木禎子さんの同級生らによる募金運動により作られました。

原爆の子の像

像の石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれています。像の周りには多くの折り鶴が置かれています。

原爆の子の像

佐々木禎子さんについては広島平和記念資料館で詳しく説明されています。また、多くの書籍や映画、楽曲、教科書などにも取り上げられ、原爆の悲惨さを今に伝える代表的な人物の一人です。白血病で入院後も1500羽とも2000羽とも言われる多くの鶴を折ることで必死に生きようとした佐々木禎子さんの物語は今でも多くの人の心を揺さぶります。

 

7、広島平和記念資料館

「原爆ドーム」、「原爆の子の像」と同じ平和記念公園内にある広島平和記念資料館は1955年に開館しました。原爆被災資料を多数公開展示しています。

広島平和記念資料館

私は広島平和記念資料館を何度か訪問したことがあります。過去の展示方法はおどろおどろしい模型の展示が多かった印象でした。一方、今回は被爆した服などの展示や犠牲者の写真とともに、文章で読ませる落ち着いた展示方法になっていた印象でした。私は今の展示方法の方がより深く原爆のことを理解できると思います。

広島平和記念資料館

先述のように、丹下健三設計の広島平和記念資料館(本館)は世界平和記念聖堂とともに、国の重要文化財に指定されています。

 入場料:大人200円、高校生100円

広島平和記念資料館の正面にある原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文があります。昨今のロシアのウクライナ侵攻と核兵器の使用を示唆する発言を聞くと「過ちは繰返しませぬから」という願いが踏みにじられそうに感じます。原爆死没者慰霊碑では多くの人が祈っていました。

原爆死没者慰霊碑

 

8、白神社(しらかみしゃ)

広島平和記念資料館から徒歩10分弱の場所にある白神社(しらかみしゃ)に行きました。「平和大通り」沿いにあります。

白神社(しらかみしゃ)は1945年の原爆により焼失しましたが、1955年に現在の形に再建されました。境内には「被爆した楠」など被爆の跡が残っています。

白神社

白神社

 

 

 

(注:文中に掲載している交通機関の出発・到着時間や運賃、入場料、食事の料金などはBLOG執筆時のものです。今後変更する可能性がありますので、旅行に行く際にご自身でご確認ください。)

 

 

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