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5月の日本旅程2日目(熊本県)

5月の日本旅程2日目(熊本県)

(5月18日 水曜日)

 

目次

1、新八代駅・八代駅

2、くまモンポート八代

3、旧郡築新地甲号樋門

4、八代市立博物館未来の森ミュージアム

5、松浜軒

6、八代城跡・八代宮

7、龍王神社

8、春光寺

9、八代神社(妙見宮)

 

1、新八代駅・八代駅

5月18日(水)の午前中に人吉市から八代市へ移動しました。私が利用した交通機関は以下の通りです。

人吉IC 9:54発 新八代駅前行 高速バス 新八代駅10:34着

新八代駅10:46発 鹿児島本線 八代行 八代駅10:50着 運賃合計1,590円

新八代駅には花火の尺玉を持ったくまモンがいます。この尺玉を持ったくまモンは「やつしろ全国花火競技大会」にちなんだものです。「やつしろ全国花火競技大会」は毎年10月に行われます。くまモン

なお、八代市にはくまモンが街中に100体以上います。くまモンマップもあります。私は事前にそんなに多くのくまモンが八代市にいるとは知らなかったのですが、確かに街中で多くのくまモンを見かけました。くまモンが好きな方は是非、八代を訪れてみてください。

八代駅前にもくまモンがいました。私は黄色い球を持ったくまモンと思っていたのですが、実は黄色い球は晩白柚(ばんぺいゆ)だそうです。晩白柚は八代特産の世界一大きな柑橘類です。

くまモン

 

2、くまモンポート八代

八代駅近くで絶品昼食を頂いた後に、自転車を借り、「くまモンポート八代」へ行きました。八代駅から「くまモンポート八代」まで約9kmあります。自転車で40分程度かかりました。

自転車のレンタル代は1日300円と格安でした。また、荷物を預かってくれました。八代駅のコインロッカーは400円だったので、自転車を借りて、荷物を預かってもらった方が割安です。

「くまモンポート八代」は国際クルーズ船の受入れ拠点として、2020年3月に完成しました。新型コロナの蔓延が始まったタイミングでの完成となり、まさに最悪のタイミングでの開園でした。「くまモンポート八代」では地域住民の憩いの場として、くまモンをテーマとした特色ある公園を併設しています。「くまモンポート八代」にはくまモンが84体もいます。

「くまモンポート八代」は毎週水曜日が休園日です。公園なので休演日があるとは思わず、「くまモンポート八代」まで自転車で行ったのですが、「休園日」の看板がかかっており、中に入ることができませんでした。

残念でしたが、外側からくまモンを少し撮影できたので、写真を掲載します。「くまモンポート八代」はくまモン好きには堪らない公園だと思います。入場料は無料です。

くまモンポート八代

くまモンポート八代

 

3、旧郡築新地甲号樋門

「くまモンポート八代」から国の重要文化財の「旧郡築新地甲号樋門」へ行きました。距離は約2.5km、自転車で10分程度かかりました。

「旧郡築新地甲号樋門」は干拓事業である「郡築新地」に設けられた樋門で、明治33(1900)年に建設されました。樋門の長さは31.8m、樋門の幅は8.3mあります。

次の写真1枚目のように樋門全体を横から見るには狭い農道に回り込まなくてはならず、自転車でないとアクセスは大変です。「くまモンポート八代」から徒歩で行くにはアクセス困難な場所と言えます。

旧郡築新地甲号樋門

旧郡築新地甲号樋門

 

4、八代市立博物館未来の森ミュージアム

「旧郡築新地甲号樋門」の次は「八代市立博物館未来の森ミュージアム」へ行きました。自転車で約30分かかりました。途中の産交バス八代営業所でかわいい八代市街地循環バスを見かけました。

八代市街地循環バス

「八代市立博物館未来の森ミュージアム」の設計は世界的建築家伊東豊雄氏(米プリッカー賞受賞者)です。

八代市立博物館未来の森ミュージアム

八代市立博物館未来の森ミュージアム

入場料:大人700円、高大生500円

私は2年前に長野県松本市で伊東豊雄氏が設計した「まつもと市民芸術館」と「信毎メディアガーデン」を訪問したので写真を掲載します。いずれも素晴らしい建築物です。

伊東豊雄

伊東豊雄

「八代市立博物館未来の森ミュージアム」前にはマスクをしたくまモンが立っていました。また、ミュージアムの斜め前にある八代市立図書館には本を持ったくまモンがいました。

くまモン

くまモン

 

5、松浜軒

次に、「八代市立博物館未来の森ミュージアム」の目の前にある松浜軒(しょうひんけん)で日本庭園を満喫しました。松浜軒は八代城主・松井直之が1688年に造った大名庭園で国の名勝です。

松浜軒

松浜軒

松浜軒

ちょうど肥後花菖蒲が咲き始めていました。肥後花菖蒲は門外不出という永代不変の会の規則を持つ満月会によって守られています。松浜軒の肥後花菖蒲は唯一の例外として満月会から移植を許されたものです。

松浜軒

松浜軒

なお、松浜軒には松井家の現在の当主が今でも住んでいます。そのため、住居内の見学はできません。

松浜軒

入場料:大人500円、小中学生250円

 

6、八代城跡・八代宮

松浜軒のすぐ近くにある八代城跡に行きました。「八代城跡群および八代宮」として、国の史跡に指定されています。

八代城は1622年に竣工した城です。一国一城令(1615年)の後で同じ藩内に二つの城が認められたのは極めて異例でした。熊本藩内に2つの城(熊本城、八代城)の存在が許された理由は外様の薩摩藩、人吉藩への備えとしてというのが通説です。八代城の本丸には4層5階の大天守と2層2階の小天守がありました。

八代城跡

八代城跡

八代宮は1884年に創建されました。八代城址にあり、後醍醐天皇の皇子で九州で足利軍と戦った懐良親王を主祭神としています。建武の新政に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社である建武中興十五社の一社です。後醍醐天皇を主祭神とする吉野神宮や楠木正成を主祭神とする湊川神社なども建武中興十五社に含まれます。

八代宮

八代宮

 

7、龍王神社

八代城址から春光寺へ向かう途中で偶然、龍王神社を見つけました。八代城址から自転車で5分ほどの距離(1.5km)です。

龍王神社

龍王神社

龍王神社は神社としては珍しく、黒と金色のみで作られています。スポーツ選手、有名芸能人等多くの有名人も訪れてる「八代のパワースポット」らしいです。

龍王神社

龍王神社

私は本来、日本固有の落ち着いた神社が好きなのですが、こういう変わった神社もたまにはいいなあ、と思いました。龍王神社の存在を全く知らず、偶然見つけただけに、かなりうれしい驚きとなりました。

龍王神社

龍王神社

 

8、春光寺

龍王神社の次に春光寺へ行きました。自転車で約10分の距離(2.7km)でした。春光寺は八代城主松井家の菩提寺です。1877年の「西南の役」では、この地は戦場となり、所々に弾痕が残っています。春光寺は八代市指定有形文化財です。

春光寺

春光寺

春光寺の境内には紫陽花が綺麗に咲いていました。紫陽花は花の中でも最も好きな花の一つです。

春光寺

春光寺

松井家の墓所に行くにはかなり急な階段を上る必要があります。墓所の前には枯葉が多く、まわりがとても静かで少し薄気味悪く感じました。

春光寺

春光寺

 

9、八代神社(妙見宮)

八代観光の最後の場所として、八代神社(妙見宮)へ行きました。春光寺から八代神社(妙見宮)までは自転車で5分弱の距離(1.1km)でした。八代神社(妙見宮)は福島県の相馬妙見、大阪府の能勢妙見とともに日本三大妙見の一つといわれています。

八代神社

八代神社

妙見信仰は、インドで発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の一種として日本に伝来したものです。妙見信仰が日本へ伝わったのは7世紀(飛鳥時代)のことで、かなり以前からの信仰です。「妙見」とは「優れた視力」の意味で、善悪や真理をよく見通す者ということです。

八代神社

八代神社(妙見宮)の社殿創建は795年といわれる歴史ある神社です。八代神社(妙見宮)の妙見祭は九州三大祭りの一つで「八代妙見祭の御幸行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。また、「山・鉾・屋台行事」の1つとして国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されています。建物は熊本県指定有形文化財です。

八代神社

八代神社

八代神社(妙見宮)を見学した後に、八代駅へ戻りました。その途中で、白衣を着たくまモンを見かけました。

くまモン

JR八代駅の横にある肥薩オレンジ鉄道八代駅には「くまモン列車」が停車していました。最初、水色の「くまモンラッピング列車1号」が到着し、その後、オレンジ色の「くまモンラッピング列車2号」が到着し、1号と連結しました。肥薩オレンジ鉄道には「くまモン列車」は3号までしかなく、そのうちの2号を偶然見ることができたのはとてもラッキーでした。

くまモン列車

くまモン列車

JR八代駅から私が宿泊した「割烹旅館 松錦館」まで私が利用した移動手段は以下の通りです。

JR八代駅16:38発 鹿児島本線 熊本行 松橋駅16:58着

松橋駅通り17:22発 三角産交 松錦館前17:37着 運賃合計740円

 

松錦館前には不知火海が広がっていました。不知火海は有明海同様に、かなり遠浅の海でした。私はこれまで全く知らなかったのですが、不知火とは旧暦8月1日前後に現れる蜃気楼の一種で、怪火の一種です。不知火の光源は漁火であると解明されました。しかし、現在では八代など対岸の電灯の灯りの存在や海水が汚染されたことから、ほとんど不知火を見れなくなったそうです。

不知火海

なお、相撲の横綱土俵入りの際の「不知火型」は熊本県出身の第11代横綱だった不知火光右衛門(しらぬい みつえもん)の土俵入りの型を起源として伝えられたものとされています。不知火光右衛門の出身地は現在の熊本県菊池郡大津町でしたが、阿蘇山の近くであり、不知火海とはかなり離れています。不知火という名前は不知火海から取ったというよりは、光右衛門の師匠であった第8代横綱の不知火諾右衛門(しらぬい だくえもん)の名前を受け継いだと考えたほうがいいと思います。

ただし、第8代横綱の不知火諾右衛門の前にも不知火の名を持つ力士は多くおり、初代は不知火光右エ門(最高位は前頭3枚目)でした。不知火光右エ門の出身地は肥後国(現在の熊本県)であり、力士名の不知火と熊本の関係は江戸時代から続いていたようです。

 

 

(注:文中に掲載している交通機関の出発・到着時間や運賃、入場料、食事の料金などはBLOG執筆時のものです。今後変更する可能性がありますので、旅行に行く際にご自身でご確認ください。)

 

 

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