4月の日本旅程1日目(高知県)
(4月18日 月曜日)
目次
1、高知県立高知追手前高等学校
4月18日(月)から3泊4日で高知県、愛媛県を旅行しました。今回も荷物を旅行先に送り、「手ぶら旅行」を楽しみました。
まず、羽田空港から高知龍馬空港へ飛びました。私が利用した飛行機は以下の通りです。
羽田空港7:55発 ANA561便 高知龍馬空港9:15着
羽田空港では離陸前の飛行機がきれいに並んでいました。
飛行機の中からは横浜ベイブリッジが見えたのですが、その後は雲で景色を楽しむことはできませんでした。しかし、高知上空では天候が良くなり、空からの高知県の景色を満喫できました。
高知龍馬空港に到着し、リムジンバスで高知駅に行きました。私が利用したリムジンバスは以下の通りです。
高知龍馬空港9:20発 リムジンバス高知空港線 高知駅バスターミナル9:45着 運賃740円
飛行機、リムジンバスとも定刻は上記の通りですが、実際は飛行機の到着時刻が5分程度遅れ、そのため、リムジンバスの発車・到着時刻も約10分遅れました。そのため、高知駅9:53発の特急あしずり1号に乗ることができませんでした。次の特急あしずり3号の発車時刻11:42まで2時間程度高知駅周辺で待つ必要がありました。朝食を食べてなかったので、「ひろめ市場」で朝食を食べました。高知駅から「ひろめ市場」までは徒歩15分程度です。
「ひろめ市場」の「ひろめ」とは土佐藩の家老であった深尾弘人蕃顕(ふかおひろめしげあき)の屋敷跡が由来です。私はてっきり「広め」という面積が由来だとばかり思っていました。深尾弘人蕃顕は吉田東洋が中心になった通称「新おこぜ組」の一人でした。「ひろめ市場」での朝食については2日後のBLOGに投稿します。
高知駅から「ひろめ市場」に行く途中に高知県立高知追手前高等学校があります。1878年に開校した「高知中学校」を前身とする歴史ある学校です。高知県立高知追手前高等学校の時計台は印象に残ります。
卒業生には「ライオン宰相」と呼ばれた第27代内閣総理大臣の浜口雄幸(おさち)氏や「アンパンマン」の漫画家やなせたかし氏など多くの著名人がいます。
やなせたかし氏が高知県育ちであることから、JR四国では2000年10月より「アンパンマン列車」を運行しています。私が土佐久礼駅まで向かう特急に乗る際にも高知駅に「アンパンマン列車」が停車していました。
2、久礼の港と漁師町の景観
高知駅から土佐久礼駅へ向かい、「久礼の港と漁師町の景観」を楽しみました。私が利用した交通手段は以下の通りです。
高知駅11:42発 土讃線特急あしずり3号 土佐久礼駅12:32着 運賃2,840円
「特急あしずり3号」は2019年に導入された2700系気動車で快適な車両でした。2700系気動車は「鉄道友の会」によって第60回(2020年)ローレル賞に選ばれました。JR四国としては30年ぶり3度目の受賞となりました。なお、「鉄道友の会」の初代会長は蒸気機関車D51形の設計を行い、「新幹線の生みの親」として知られる島秀雄氏です。
土佐久礼駅に到着すると特急停車駅にもかかわらず無人駅でした。
「久礼の港と漁師町の景観」は2011年2月に漁師町としては全国で初めて国の重要文化的景観として選定されました。鰹漁とともに発展した漁師町や漁港を中心とした独特の文化的景観が評価されています。久礼港は四万十川流域で産出された山林資源などの物資を関西方面へ輸送する重要な港の一つとして発展してきました。また、鰹漁の中心地のひとつとして栄えてきました。
久礼港周辺の街中はほとんど人通りが無く、漁師町の活気とは無縁でした。人通りが無いので、もの悲しく感じました。昭和の古い看板を集めた一角もありましたが、その看板がよりさみしさを感じさせるという状況でした。「久礼の港と漁師町の景観」を観光地として盛り上げるためには抜本的な戦略変更が必要ではないでしょうか。ただし、2日後のBLOGに投稿しますが、久礼大正町市場で食べた鰹は絶品なので、久礼に行く価値は十分ありました。
3、久礼八幡宮
久礼八幡宮は久礼の浜に鎮座する総鎮守で、海の守護神として漁業関係者に崇敬されています。創建は1392年前後という説があり、現在の社殿は1825年の再建です。秋季の祭礼である「久礼八幡宮秋季例大祭」は「土佐三大祭り」の一つです。海のすぐ近くに建っているため、境内からは海が見えます。
久礼八幡宮の特徴は鰹漁の街ならではの絵馬です。鰹と鰹のタタキの絵馬が奉納されていました。社殿内の額面も素晴らしかったです。
4、西岡酒造
土佐久礼駅の近くにある西岡酒造は江戸時代中期の1781年に創業された241年の歴史を持つ高知県最古の蔵元です。創業が坂本龍馬が生まれた1836年よりも古いので、坂本龍馬も西岡酒造の日本酒を飲んだのではないでしょうか。
店内では日本酒の試飲ができます。とてもおいしいお酒ばかりでした。こういう歴史ある蔵元でおいしい日本酒を試飲することは旅の楽しみの一つです。夜に飲むために日本酒を買って帰り、ホテルで飲みました。
5、一條神社
土佐久礼駅から中村駅まで移動し、レンタサイクルをして一條神社に行きました。レンタサイクルは翌日の四万十川サイクリング用に24時間借りました。24時間の料金は2,000円でした。土佐久礼駅から中村駅までの移動に利用した公共交通機関は以下の通りです。
土佐久礼駅14:38発 土讃線特急あしずり5号 中村駅15:31着 運賃3,170円
中村駅から一條神社まで自転車で5分弱でした。徒歩では20分程度です。1607年に土佐一条氏の遺臣により歴代当主の霊を祀る祠が建てられたことが一條神社の起源です。現在の本殿は1944年の建立です。
土佐一条氏は応仁2年(1468年)に前関白の一条教房が応仁の乱で混乱する京都を避けて、所領であった土佐幡多荘(現在の四万十市中村)に下向したことに起源を持ちます。一条教房とその子孫が拠点とした「中村御所」が今の一條神社の境内にありました。土佐一条氏が本拠とした中村は京都を模した町作りが行われたことから「土佐の小京都」と呼ばれています。
例大祭は「一條大祭」と呼ばれ、土佐三大祭り(他は中土佐町の「久礼八幡宮秋季大祭」、仁淀川町の「秋葉祭り」)にも数えられています。ただし、「土佐三大祭り」は「一條大祭」の代わりに高知市の「志那袮祭(しなねまつり)」を入れる説もあります。
6、不破(ふば)八幡宮
一條神社から自転車で5分ほどの場所にある不破(ふば)八幡宮へ行きました。徒歩では20分強かかります。
不破(ふば)八幡宮は一条教房が室町時代中期の文明年間(1469年 – 1487年)に八幡宮を建立したのが創建となります。土佐一条氏の守護神として崇敬を受けたのちに、江戸時代には土佐藩主山内家からも信仰されました。
不破(ふば)八幡宮の本殿は国の重要文化財です。本殿は1559年に建立されました。室町時代後期の様式が見られます。
(注:文中に掲載している交通機関の出発・到着時間や運賃、入場料、食事の料金などはBLOG執筆時のものです。今後変更する可能性がありますので、旅行に行く際にご自身でご確認ください。)