4月の日本旅程(高知、愛媛旅行)のまとめ、注意点
4月18日(月)から4月21日(木)にかけて、高知県、愛媛県を旅行しました。今回の旅行では初鰹など旬の魚介類や宇和島鯛めしなど郷土料理を多く食べられました。また、国宝や国の重要文化財、重要伝統的建造物群保存地区など素晴らしい観光地を数多く訪問することができました。皆さんに強くお勧めしたい4月の日本旅程です。今回の旅行のまとめといくつかの注意点を報告します。
毎回繰り返しますが、今回の旅程も「旬の魚介類と郷土料理を食べ尽くす」という目的で作成したものです。食が最優先で、観光地の優先順位は2番目です。とはいえ、国宝や国の重要文化財、重要伝統的建造物群保存地区など観光スポットをできるだけ多く回ることを目指しました。
目次
1、今回の日本旅程で食べられた「郷土料理百選」と「御当地人気料理特選」
1、今回の日本旅程で食べられた「郷土料理百選」と「御当地人気料理特選」
高知県:かつおのたたき
高知県では旅行初日の土佐久礼での昼食と四万十市での夕食で「かつおのたたき」を満喫しました。土佐久礼は鰹の漁港としても有名で、私の人生で一番美味しいのではないかと思うくらいの「かつおのたたき」と「かつおの刺身」を満喫しました。以下にあるように、全国漁業協同組合連合会では高知県の「PRIDE FISH」に土佐さが日戻り鰹(旬:3月~5月)を選んでいます。高知県は鰹の漁獲量は全国4位ですが、消費量は全国1位です。
愛媛県:宇和島鯛めし、じゃこ天
愛媛県では「宇和島鯛めし」を3回、「じゃこ天」を2回食べることができました。
「宇和島鯛めし」は宇和島市で2回、松山空港で1回食べました。新鮮な真鯛の刺身と生卵をご飯の上にかけるシンプルな料理なのに美味しい「宇和島鯛めし」を私は大好きです。
「じゃこ天」は宇和島市で1回、松山空港で1回食べました。特に、宇和島市で食べた分厚いじゃこ天である「鬼じゃこ天」はじゃこ天の味を満喫できる逸品でした。なお、高知県久礼で食べた揚げたての「くれ天」も「じゃこ天」です。「くれ天」も最高に美味しく頂きました。
高知県、愛媛県ともに、農林水産省選定の「御当地人気料理特選」に選ばれた料理はありませんでした。ただし、いくつかの御当地料理を食べられたので、ご紹介します。
高知県:ウツボのタタキ、四万十川の天然鰻、四万十川のごり
「ウツボのタタキ」は高知県名物です。ウツボを食材とする地域は主に四国と和歌山県など一部地域に限定されています。ウツボには厚い皮と小骨があって調理に手間がかかることが他の地域で食材になりにくい理由です。ただし、味は美味です。「ウツボのタタキ」は主に高知県で食べられる料理法です。私は「ウツボのタタキ」を土佐久礼で頂きました。
「四万十川の天然鰻」は「日本最後の清流」と呼ばれている四万十川の天然鰻なので、とても貴重です。天然鰻は日本で獲れる鰻の0.4%しかありません(2020年)。天然鰻はとても肉厚で噛み応えがある鰻でした。養殖鰻とは全くの別物です。ただ、天然の川魚なので、臭みが少しありました。味を重視するなら養殖鰻、噛み応えを重視するなら天然鰻ということかと思いました。なお、天然鰻は脂が乗る夏が一番美味しいそうです。
「四万十川のごり」はハゼの仲間であるチチブの幼魚のことです。「ごり」の漁期は2月~4月なので、ちょうど旬の時期に「ごりの唐揚げ」を食べることができました。小さく食べやすい美味しい唐揚げでした。「ごりの唐揚げ」はビールにも日本酒にもよく合う味でした。
愛媛県:さつま飯、鯛そうめん、ふかの湯ざらし、ふくめん、太刀魚巻、御津浜焼き
愛媛県では宇和島市で郷土料理の「ほづみ亭」に2回行ったこともあり、多くの御当地料理を食べることができました。「さつま飯」、「鯛そうめん」、「ふかの湯ざらし」、「ふくめん」、「太刀魚巻」は農林水産省が愛媛県の「うちの郷土料理」として紹介しています。
「さつま飯」は「佐妻飯」と書きます。夫が妻を助けて作る、若しくは簡単な料理なので妻の家事が助かる、というような意味です。「さつま飯」は麦味噌、だし汁、焼いた魚をほぐしたものをすり鉢で混ぜ、ご飯や麦飯にかけて食べる郷土料理です。「さつま飯」は見た目の地味さとは裏腹に病みつきになりそうな美味しい料理でした。宇和島を再訪する際には必ず「さつま飯」を食べたいと思います。
「鯛そうめん」とは小ぶりの真鯛一尾をまるごと姿煮にしたものを素麺と一緒に大皿に盛りつけて食べます。南予地方では、錦糸卵、千切りしいたけなどを付け合わせとして薬味と一緒に食べます。松山地域では五色素麺を用いることが多いようです。宇和島市では「鯛そうめん」を「ふくめん」とともに、お祝いの席で食べる風習があります。宇和島市で食べた「鯛そうめん」はとても美味しかったです。私は松山市では温かい「鯛そうめん」を食べました。
「ふかの湯ざらし」の「ふか」とはサメのことで、南予では1メートル前後のものがよく捕れます。味が淡白な「ふか」に酢味噌をつけて食べます。私には少し水っぽく感じて「ふかの湯ざらし」からは他の郷土料理の感動は得ることができませんでした。
「ふくめん」も宇和島の郷土料理です。「ふくめん」は糸コンニャクの上に、茹でた魚をほぐしたもの、ピンクのそぼろ、ネギなどを敷いたものです。祭りや正月、結婚披露宴や長寿祝いなどのハレの料理として食べられています。「ふくめん」は華やかな見た目と異なり、かなり素朴な味でした。
「太刀魚巻」も宇和島の郷土料理です。宇和島市吉田町で「河合太刀魚巻店」が1987年に「太刀魚巻」を考案しました。「ほづみ亭」の「太刀魚竹巻き」は竹にしっかり巻き付けているので、少し硬く感じました。いつか「河合太刀魚巻店」で焼きたてを食べたいと思います。
「三津浜焼き」は松山市西部の旧三津浜町周辺で食べられているお好み焼きです。三津浜のソウルフードです。大正時代に水で溶いた小麦粉を焼いてネギなどを乗せ、ソースをかけて出していた物が「一銭洋食」として売り出されていました。この「一銭洋食」が「三津浜焼き」の起源と言われています。なお、「三津浜焼き」は広島風お好み焼きと異なり、二つ折りにします。「やきやき鉄板グリル ひまわり」の「元祖三津浜焼き」は広島の大行列店「みっちゃん総本店」に匹敵する美味しさでした。
2、今回の日本旅程で食べられた旬の「PRIDE FISH」
高知県:土佐さが日戻り鰹(旬:3月~5月)、土佐の清水さば(旬:10月~2月)、高知春野の「どろめ」(旬:9月~12月)
土佐さが日戻り鰹は上述のように、「かつおのたたき」として食べられました。
土佐の清水さば(旬:10月~2月)は四万十市で姿造りとして食べられました。高知県土佐清水市の足摺岬沖では潮流が速くエサが豊富なため、身の締まったゴマ鯖が一年を通じて漁獲されます。一尾一尾一本釣りするため、魚に網の傷をつけず最良の状態で水揚げされます。旬を若干過ぎていましたが、とても美味しく感動する味の鯖の刺身でした。私の人生でもトップクラスの美味しさでした。
高知春野の「どろめ」(旬:9月~12月)は高知市で食べました。高知県では生のイワシシラス(カタクチイワシの稚魚)のことを「どろめ」と呼びます。「どろめ」は高知市の西端に位置する春野漁港で水揚げされます。漁場は仁淀川下流域から桂浜の沿岸域です。「PRIDE FISH」では旬を秋としていますが、漁期は春と秋です。今回は旬の時期ではないかもしれませんが、漁期の春なので、新鮮で美味しい「どろめ」を食べることができました。
愛媛県:愛育フィッシュ「愛鯛」(旬:2月~5月)、びやびやかつお(旬:4月~6月)、釣りタチウオ(旬:8月~10月)、松山沖のマダコ(旬:6月~9月)、来島海峡のアコウ(キジハタ)(旬:7月~9月)
「愛鯛」はリアス式海岸と黒潮が流れ込む豊かな漁場である宇和海(宇和島)で徹底した管理基準のもとで育てられる養殖真鯛です。愛媛県は天然真鯛の漁獲量は全国4位(1位は福岡県)ですが、養殖真鯛の漁獲量シェアは47%で圧倒的な1位(2位はシェア12%の熊本県)です。愛媛県は天然真鯛と養殖真鯛を合わせた漁獲量シェアは56%と過半を占める真鯛の県です。私は真鯛を「宇和島鯛めし」だけでなく、刺身盛り合わせとして食べました。
「びやびやかつお」は深浦漁港で獲れた新鮮な鰹のことです。深浦漁港は鰹の漁獲量が四国で1位です。「びやびや」とは深浦漁港がある愛南町の方言で、「包丁が入らないほど新鮮で弾力がある」という意味です。「びやびやかつお」は釣り上げてすぐに船上で活け締め・血抜き処理をしたものです。また、鮮度を最大限に生かすため、釣り上げたその日のうちに水揚げをします。私は深浦漁港で獲れた鰹を「かつおのたたき」として宇和島市で食べることができました。
釣りタチウオ、松山沖のマダコ、来島海峡のアコウ(キジハタ)は4月ではいずれも旬を外れていますが、太刀魚巻や刺身の盛り合わせとして食べることができました。
なお、「PRIDE FISH」は全国漁業協同組合連合会の選定です。
3、今回の日本旅程の注意点(ローカル鉄道)
毎回同じことを書いていますが、大事なことなので繰り返します。今回も旅行のルールとして、レンタサイクルを含む公共交通機関のみを利用する環境配慮型旅行としています。今回は四万十川を下流から上流へ42km走るなどレンタサイクルの利用がとても多い旅となりました。
こちらも再確認となりますが、公共交通機関を利用する旅行は自動車での旅行と比べるとCO2排出量は圧倒的に少なくなります。例えば、国土交通省のデータでは、1人が1km移動する際のCO2排出量は自動車の130gに対し、航空機は98g(自動車の75%)、バスは57g(同44%)、鉄道は17g(同13%)です。
いつも変わりませんが、今回もワンマン列車の乗降方法が分かりにくかったです。「JR予土線」(私は江川崎駅から宇和島駅まで乗車)と「JR内子線」(私は伊予大洲駅から内子駅まで乗車)はワンマン列車でした。
ワンマン列車では乗降の際、ボタンを押してドアを開ける必要があります。また、乗車時は整理券を取り、降車時は整理券とお金を運賃箱に入れて降ります。
乗降の仕方について乗車口と車内にポスターが貼っていましたが、日本語のみでした。鉄道事業者や観光協会は責任を持って外国語での案内をすべきです。
ワンマン列車の場合は常に1両目に乗るようにすれば安心です。JRでは1両目の後方ドアから乗り、前方ドアから降りることがほとんどです。日本の地方を旅行する際には電車の乗降ルールは絶対に覚えておきましょう。ただし、1両目の前方ドアから乗るのか後方ドアから乗るのかは鉄道事業者によって異なります。
細かな注意点は旅行日にそれぞれ書きましたのでご覧ください。
4、身軽な恰好での旅行
こちらも毎回、繰り返しになりますが、今回の旅行でも自分の衣服や電源コードを宿泊先に事前に送り、毎日「手ぶら旅行」を楽しみました。やはり、散歩するような身軽な恰好で旅行するのはとてもラクです。鉄道や飛行機で到着後すぐに行動できるのは時間の有効活用に大切なことです。特に、今回は飛行機が高知龍馬空港へ到着するのが遅れ、リムジンバスの接続がギリギリの時間でした。おそらく、荷物を預けた人はバスに乗れなかったと思います。
また、今回のように、雨が降ると傘を持ちながらのキャリーバッグの運搬は大変になります。雨でキャリーバッグも濡れます。天候不順な時期にこそ、「手ぶら旅行」をして欲しいです。今回も旅行の最終日には、洗濯代行業者に旅行中に着た衣服を送り、洗濯もせずにすみました。皆さんにも「手ぶら旅行」の快適さを経験して欲しいです。
5、4月18日(月曜日)1日目
4月18日(月)から3泊4日で高知県、愛媛県を旅行しました。今回も荷物を旅行先に送り、「手ぶら旅行」を楽しみました。
高知駅から「ひろめ市場」に行く途中に高知県立高知追手前高等学校があります。1878年に開校した「高知中学校」を前身とする歴史ある学校です。高知県立高知追手前高等学校の時計台は印象に残ります。
卒業生には「ライオン宰相」と呼ばれた第27代内閣総理大臣の浜口雄幸(おさち)氏や「アンパンマン」の漫画家やなせたかし氏など多くの著名人がいます。
やなせたかし氏が高知県育ちであることから、JR四国では2000年10月より「アンパンマン列車」を運行しています。私が土佐久礼駅まで向かう特急に乗る際にも高知駅に「アンパンマン列車」が停車していました。
高知駅から土佐久礼駅へ向かい、「久礼の港と漁師町の景観」を楽しみました。
「久礼の港と漁師町の景観」は2011年2月に漁師町としては全国で初めて国の重要文化的景観として選定されました。鰹漁とともに発展した漁師町や漁港を中心とした独特の文化的景観が評価されています。久礼港は四万十川流域で産出された山林資源などの物資を関西方面へ輸送する重要な港の一つとして発展してきました。また、鰹漁の中心地のひとつとして栄えてきました。
久礼港周辺の街中はほとんど人通りが無く、漁師町の活気とは無縁でした。人通りが無いので、もの悲しく感じました。昭和の古い看板を集めた一角もありましたが、その看板がよりさみしさを感じさせるという状況でした。「久礼の港と漁師町の景観」を観光地として盛り上げるためには抜本的な戦略変更が必要ではないでしょうか。
久礼八幡宮は久礼の浜に鎮座する総鎮守で、海の守護神として漁業関係者に崇敬されています。創建は1392年前後という説があり、現在の社殿は1825年の再建です。秋季の祭礼である「久礼八幡宮秋季例大祭」は「土佐三大祭り」の一つです。海のすぐ近くに建っているため、境内からは海が見えます。
久礼八幡宮の特徴は鰹漁の街ならではの絵馬です。鰹と鰹のタタキの絵馬が奉納されていました。社殿内の額面も素晴らしかったです。
土佐久礼駅の近くにある西岡酒造は江戸時代中期の1781年に創業された241年の歴史を持つ高知県最古の蔵元です。創業が坂本龍馬が生まれた1836年よりも古いので、坂本龍馬も西岡酒造の日本酒を飲んだのではないでしょうか。
土佐久礼駅から中村駅まで移動し、レンタサイクルをして一條神社に行きました。レンタサイクルは翌日の四万十川サイクリング用に24時間借りました。24時間の料金は2,000円でした。
中村駅から一條神社まで自転車で5分弱でした。徒歩では20分程度です。1607年に土佐一条氏の遺臣により歴代当主の霊を祀る祠が建てられたことが一條神社の起源です。現在の本殿は1944年の建立です。
土佐一条氏は応仁2年(1468年)に前関白の一条教房が応仁の乱で混乱する京都を避けて、所領であった土佐幡多荘(現在の四万十市中村)に下向したことに起源を持ちます。一条教房とその子孫が拠点とした「中村御所」が今の一條神社の境内にありました。土佐一条氏が本拠とした中村は京都を模した町作りが行われたことから「土佐の小京都」と呼ばれています。
例大祭は「一條大祭」と呼ばれ、土佐三大祭り(他は中土佐町の「久礼八幡宮秋季大祭」、仁淀川町の「秋葉祭り」)にも数えられています。ただし、「土佐三大祭り」は「一條大祭」の代わりに高知市の「志那袮祭(しなねまつり)」を入れる説もあります。
一條神社から自転車で5分ほどの場所にある不破(ふば)八幡宮へ行きました。
不破(ふば)八幡宮は一条教房が室町時代中期の文明年間(1469年 – 1487年)に八幡宮を建立したのが創建となります。土佐一条氏の守護神として崇敬を受けたのちに、江戸時代には土佐藩主山内家からも信仰されました。
不破(ふば)八幡宮の本殿は国の重要文化財です。本殿は1559年に建立されました。室町時代後期の様式が見られます。
食事
高知駅から土佐久礼駅へ向かう特急列車の待ち時間が2時間弱あったので、「ひろめ市場」の「珍味堂」で朝食を食べました。「ひろめ市場」は朝10時から夜10時までの通し営業なので、観光客にとても使い勝手がいい市場です。
「珍味堂」は「ひろめ市場」の中で一番大きなお店です。市場内とは思えないくらいに高知ならではの海の幸と山の幸を多く取り揃えています。私は「のれそれ」、「どろめ(生シラス)」、「蟹味噌」、「くじらすじ」、「焼き鯖寿司」を食べ、「船中八策」を飲みました。
「のれそれ」とはアナゴの稚魚で高知県の海産珍味です。「のれそれ」は白色で透き通った体をしており、神秘的な姿から水の妖精とも呼ばれています。高知県産の「のれそれ」の旬は2月から5月です。なお、「のれそれ」は高知県での呼び名が全国に広がったものです。
高知県では古くから鰹と並んで鯨の漁業が盛んでした。現在は漁獲量が制限されているため、高知沖で鯨を獲ることができず、南氷洋調査捕鯨のミンク鯨などを鯨料理に使っています。高知県では伝統の食文化として様々な鯨料理が今でも食べられています。鯨のすじ肉を使う「くじらすじ」は鯨を食文化とする高知県ならではの食べ物だと思います。独特の食感が堪らないとても美味しい珍味でした。
高知駅から土佐久礼駅へ向かう「特急あしずり3号」の中で高知カンパーニュブルワリーのクラフトビール「TOSACO」を2本飲みました。
高知カンパーニュブルワリーは2017年創業の若いビール会社ですが、数々の賞を受賞している新進気鋭のビール会社です。主に、高知県産素材を使い、高知県香美市土佐山田町でクラフトビールを製造しています。ビール瓶のパッケージデザインもとてもセンスが良く、好感が持てるビール会社です。
今回私が飲んだのは「ゆずペールエール」と「土佐IPA」です。「ゆずペールエール」はゆずの香りと味がしっかり効いていてすっきりとした美味しいビールでした。一方、「土佐IPA」はIPAならではのどっしりとした味わいのビールでした。おいしい高知県産のクラフトビール「TOSACO」を飲みながら、高知県の景色を眺めながらの車窓の旅はとてもいいものでした。
土佐久礼駅に到着し、久礼大正町市場にある「田中鮮魚店」で昼食を食べました。久礼大正町市場は久礼の街で最も活気がある場所です。
「田中鮮魚店」では新鮮な魚介類の販売をしており、そこで購入した魚介類を「漁師小屋」で食べることができます。「漁師小屋」は満席で5分ほど席が空くのを待ちました。
私が食べたのは「鰹の刺身」、「鰹のタタキ」、「ウツボのタタキ」と「どろめ」です。ご飯と味噌汁のセットは300円です。
「鰹の刺身」、「鰹のタタキ」は私の人生で史上最高の美味しさでした。鰹独特のねっとりとした食感の美味しい鰹でした。臭みは全くありませんでした。高知駅から特急で1時間弱かかりますが、「漁師小屋」はわざわざ行く価値がある食堂だと思います。「漁師小屋」は食べログでも3.67の高得点を獲得し、高知県全体の飲食店で15位となっています。
高知県は全国一のカツオ消費県で、一人あたりの消費量は全国平均の約5倍です。2位の福島県の2倍以上の消費量です。しかし、漁獲量は日本で4位、シェア6%(2020年)です。高知県の漁獲量の少なさはかなり意外感があります。なお、1位は静岡県(シェア30%)、2位は東京都(シェア18%)、3位は宮城県(シェア11%)です。
「田中鮮魚店」の店頭にある「串焼きポン吉」で「鰹の心臓(チチコ)」の串焼き(一本200円)を食べました。当然、鰹一匹から一個の心臓しか取れません。従って、鰹の心臓は極めて貴重な部位となります。また、鮮度を保つのが難しいため、基本的には鰹漁を行う漁港近くでしか食べられないようです。味は牛レバーに近いように感じました。まさに珍味でした。
久礼の街の散策を楽しんだ後に、岡村かまぼこ店で「くれ天」を食べました。「くれ天」は土佐久礼の伝統の味で、昭和13年(1938年)から営業し続けています。毎日2,000枚作っても売り切れることもあるそうです。くれ天に使う魚は地元で獲れた新鮮な小魚です。小魚を骨ごとすり潰し、じっくり練り上げてから油で揚げています。
土佐久礼駅から中村駅に移動し、少し観光をした後に、「居酒屋 喜八」で夕食を食べました。私は18時に入店しましたが、既にかなりの人数の客がいて、18時半には満員となりました。月曜日の夜にもかかわらず、ものすごい人気店です。実際、食べログでも3.68の高得点を獲得し、高知県全体でも11位でした。
「居酒屋 喜八」で注文したのは「清水さばの刺身」、「鰹の塩タタキ」、「鯵の刺身」、「うなぎ白焼き」、「ごりの唐揚げ」です。
私が「清水さばの刺身」を食べた4月中旬は少し旬を過ぎていましたが、とろけるように美味しい鯖でした。なお、「居酒屋 喜八」ではさば刺身を通常の刺身醤油につけて食べるだけでなく、鰹と同じようにニンニクスライスとポン酢に付けて食べることも薦められました。食べ方を変えるので、同じさば刺身を違う料理のように美味しく食べることができました。
「鰹の塩タタキ」は清水港で獲れた鰹を使った絶品塩タタキでした。「田中鮮魚店」で食べた鰹のタタキは史上最高クラスの美味しさだったのですが、「居酒屋 喜八」の「鰹の塩タタキ」も負けず劣らずの美味しさでした。
「うなぎ白焼き」と「ごりの唐揚げ」はどちらも四万十川の名物です。「うなぎ白焼き」は少し小ぶりの鰻でしたが、身がとても柔らかく美味しい鰻でした。
注意点
高知龍馬空港の注意点を挙げます。高知龍馬空港の高知駅行リムジンバスは飛行機の到着時間に合わせて運行時間が決められています。高知龍馬空港以外の多くの地方空港も同様のシステムを導入しています。
例えば、羽田空港発のJAL491便は高知空港に9:00に到着し、この到着便に対応するリムジンバスは高知空港9:05発です。また、羽田空港発のANA561便は高知空港に9:15に到着し、この到着便に対応するリムジンバスは9:20発です。このように、飛行機の到着時間とリムジンバスの発車時間に5分しか余裕がなく、荷物を飛行機に預けた人は急いでバスに駆け込む必要があります。なお、上記のバスに乗り遅れると10:00発のリムジンバスまで待たなければいけません。
6、4月19日(火曜日)2日目
4月19日(火)は朝8時から四万十川サイクリングに出かけました。下流の中村駅から上流の江川崎駅までの42kmの長距離サイクリングです。ちょうどマラソンコースと同じ距離となります。荷物が無い「手ぶら旅行」なので、乗り捨て(中村駅で借り、江川崎駅で返却)となるサイクリングも可能となります。川の上流に向かうルートですが、非常に緩やかな勾配なので、苦になりませんでした。所要時間は3時間半でした。
四万十川は全長196kmの四国最長の川です。日本全体では11番目に長い川となります。四万十川は本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本最後の清流」と呼ばれています。また、柿田川(静岡県、全長1.2km))・長良川(岐阜県、全長166km)とともに「日本三大清流」の一つです。名水百選、日本の秘境100選にも選ばれています。
四万十川と新緑の季節で山々が美しかったことと鴬の鳴き声が常に聞こえ、とても気持ちのいいサイクリングでした。
四万十川には沈下橋が多くあり、総数は本流に22本にもなります。欄干がなく、台風や大雨の増水時には沈下することで、流木などが橋脚などに引っ掛って滞留し水圧がかかり橋全体が破損、流失するのを防いでいます。沈下橋の存在が四万十川をより有名にしていると言っていいと思います。
三里沈下橋は佐田沈下橋の次に下流側にある沈下橋です。全長145.8mと短めですが、とても美しい沈下橋でした。
勝間沈下橋は全長171.4mあります。橋脚が3本ある珍しい沈下橋です。映画「釣りバカ日誌14」の撮影現場となりました。
岩間沈下橋は全長120.0mあります。美しい沈下橋です。
江川崎駅手前の津大橋には鯉のぼりが泳いでいました。四万十川の上空を泳ぐ鯉のぼりの景色は最高でした。
江川崎駅で自転車を返却し、松丸駅へ向かいました。江川崎駅から松丸駅までの列車は初代新幹線0系をイメージし、キハ32形気動車を改造した「鉄道ホビートレイン」でした。「鉄道ホビートレイン」は2014年に運航開始しました。改造費用は約1,500万円でした。
「奥内の棚田及び農山村景観」は2017年に国の重要文化的景観に選定されました。農林水産省の「日本の棚田百選」にも認定されています。奥内の棚田は松丸駅から約10kmあり、自転車で約30分かかります。
なお、Googleマップには奥内の棚田ではなく、遊鶴羽(ゆずりは)の棚田として表示されます。
棚田はとても綺麗な景色でした。私が今まで見た棚田の中でもトップクラスの美しさだったと思います。
「虹の森公園」で自転車を返却し、松丸駅から宇和島駅へ向かいました。「しまんトロッコ号」は江川崎~土佐大正駅間で連結したトロッコ車両に乗車できます。1日1便の運行です。私は「鉄道ホビートレイン」同様に、「しまんトロッコ号」の運行予定も知らなかったのですが、運よく乗車できました。次回は江川崎~土佐大正駅間でトロッコ車両に乗車したいと思います。
宇和島のホテルにチェックインした後に、宇和島城に行きました。宇和島城は現存12天守の一つであり、財団法人日本城郭協会が定めた日本100名城です。宇和島城の天守は国の重要文化財です。丘陵全体が国史跡に指定されています。宇和島城は1615年に伊達秀宗が入城して以来、宇和島伊達家の居城でした。伊達秀宗は仙台藩主伊達政宗の庶長子です。
なお、第9代宇和島藩主伊達宗城は福井藩主松平春嶽、土佐藩主山内容堂、薩摩藩主島津斉彬と並び幕末の四賢侯と称されました。
宇和島城の天守は約80mの丘陵上にあり、宇和島駅から近い場所にある「藩老桑折氏武家長屋門(移築建造物、宇和島市指定有形文化財)」から石段を上ると15-20分ほどかかります。石段が急なため、天守まで登るのはかなり疲れます。
宇和島駅から遠く、天赦園側にある「上り立ち門」は武家の正門とされる薬医門形式です。国内に現存する薬医門としては最大クラスの規模を誇ります。創建年代の特定には至っていないものの、現存最古クラスの可能性を秘めています。宇和島市指定有形文化財です。
苦労して登った分、宇和島城の天守台や天守3階からの景色は絶景でした。宇和海がとても綺麗に見えました。現在の天守は1662年から1671年に2代目藩主伊達宗利によって建て替えられた独立式層塔型3重3階の建物です。5重6階の姫路城などに比べると小ぶりの天守ですが、天守からの眺望は現存12天守の中でトップクラスだと思います。
天守内には鎧兜などの他、愛媛県出身の墨絵アーチスト茂本ヒデキチ氏の武将の絵が展示されていました。
食事
朝食は佐田沈下橋(今成橋)を渡って少し行った場所にある「さこや」で天然鰻のうな重を頂きました。「さこや」は前日に自転車を借りた中村駅の四万十市観光協会で、「四万十川の天然鰻を食べたい」とリクエストをした際に教えてもらいました。
「さこや」の営業時間は7時から14時までなので、朝食にうな重を頂くことができます。
「さこや」では毎朝、天然鰻を四万十川に獲りに行っており、天然鰻が獲れないと養殖鰻を提供するそうです。四万十川の鰻漁は4月1日~9月30日に限定されているため、「さこや」の天然鰻も4月〜9月の間だけ食べることができます。なお、四万十川では川エビ漁は4月1日~8月31日、鮎漁は5月15日から10月15日のみ漁を行うことができます。
鰻漁は解禁して5月頃までは「延縄漁(はえなわりょう)」、その後「コロバシ漁」に移行します。コロバシ漁に使う餌のミミズが適度な大きさに育つのが5~6月頃だからだそうです。また、真夏以降はまたミミズが取れなくなり、「コロバシ漁」から「延縄漁」に戻るそうです。
延縄は1本の幹縄に多数の枝縄(これを延縄と呼ぶ)をつけ、枝縄の先端に釣り針をつけた構成となっています。夕方に延縄を漁場に仕掛けた後、翌朝に延縄を回収して収穫を得る漁法です。
「コロバシ」という仕掛けは、竹や木で作った細長い筒の形をしている鰻を獲るための仕掛けです。夕方に川の中へ仕掛け、翌朝に仕掛けを回収しに行きます。
なお、天然鰻は日本で獲れる鰻の0.4%しかありません(2020年)。天然鰻はとても貴重です。
「さこや」では大量の鰻が水槽の中を泳いでいました。私は天然鰻のうな重(4,400円)を注文しました。なお、養殖鰻のうな重は3,080円でした。
「郷土料理 大衆割烹 ほづみ亭」では様々な郷土料理を夕食として頂きました。私が注文したのは「刺身盛り合わせ」、「鬼じゃこ天」、「ふかの湯ざらし」、「太刀魚竹巻き」、「深浦カツオの塩たたき」、「鯛そうめん」です。
「刺身盛り合わせ」にはタコ、真鯛、カンパチ、鰹、サヨリが入っていました。
「ほづみ亭」では鰹のタタキをカウンター前で藁焼きして調理しています。藁には油分が少し含まれるため、燃やすと火力が強くなります。強い火力で加熱時間が短く済むため、外側だけをサッとあぶり、中はレアのままというタタキに適しています。藁のよい香りが鰹にも移り、美味しい鰹のタタキが出来上がります。
鰹は高知県が有名ですが、高知県の鰹漁獲量は全国4位(2020年)です。また、四国内でも愛媛県の深浦漁港が鰹漁獲量が1位となります。ただし、愛媛県全体の鰹漁獲量は全国16位です。
「鬼じゃこ天」は分厚い「じゃこ天」のことです。宇和島練り物工房みよしが「鬼じゃこ天」を生産しています。「じゃこ天」は宇和島市など南予地方の料理です。原料に使われる雑魚(ざこ)、特にホタルジャコを使った天ぷらが「じゃこ天」の名前の語源と言われています。「ほづみ亭」のおかみさんが『最近の「じゃこ天」は薄いのが多いけど、「鬼じゃこ天」は分厚くて美味しいから是非食べてみて』と勧められて食べました。前日に土佐久礼で食べた「くれ天」も美味しかったですが、「鬼じゃこ天」もとても美味しく感動しました。
「ほづみ亭」では多くの郷土料理を食べられ大満足でした。とても気に入り、翌日の昼食も「ほづみ亭」で食べました。食べログの百名店に選ばれています。
注意点
松丸駅から奥内の棚田(遊鶴羽の棚田)へ行くためには「虹の森公園」の「おさかな館」で自転車を借りる必要があります。1日3,000円と高いですが、GIANTの最新Eバイク(ESCAPE RX-E+)を借りることができます。なお、電動アシスト機能がついてないクロスバイクは1日1,500円、4時間1,000円と割安です。かなりの急こう配かと思い、Eバイクを借りましたが、実際にはそれほど急な坂ではなかったので、通常のクロスバイクでも行けると思います。
7、4月20日(水曜日)3日目
4月20日(水)の午前中に宇和島市観光情報センター「シロシタ」でレンタサイクルをして、宇和島市内を回りました。レンタサイクル料金はGIANTのE-バイクが1日2,000円です。
宇和島市立歴史資料館は1884年に宇和島警察署として建てられた建物を移築して使用しています。薄いピンク色の建物は元警察署とは思えない柔らかい雰囲気を醸し出しています。建築様式は擬洋風建築です。国登録有形文化財です。
宇和島市立歴史資料館・樺崎砲台跡近くの和霊神社へ行きました。
和霊神社は山家公頼(やんべきんより)を主祭神とする神社です。山家公頼は仙台藩の伊達政宗に仕え、政宗の息子の伊達秀宗が宇和島藩に封じられた際に藩惣奉行(筆頭重臣・1000石)として付けられた伊達家の重臣です。山家公頼は領民の年貢を軽くしようとしたことなどから領民に慕われていました。しかし、宇和島藩内での主導権争いなどから政敵に恨まれ、1620年に殺されました。その後、山家公頼を討ち取った家臣だちが変死したり、宇和島藩を大地震や台風・飢餓などが相次いで起こったため、山家公頼の祟りと恐れられ、1653年に和霊神社が創建されることになりました。
毎年7月に行われる「和霊大祭・うわじま牛鬼まつり」は四国の有名な祭りの一つです。祭礼の主役「牛鬼」(うしおに)です。牛鬼は5m強の牛をかたどった竹組みの胴体に丸木で作られた長い首と鬼面の頭、剣をかたどった尻尾がついています。和霊神社の社殿にも牛鬼のお面が飾られています。
和霊神社の社殿はとても素晴らしく、美しいと感じました。現在の社殿は1951年の建立です。
和霊神社の二の鳥居は石造りとしては日本一の大きさ(高さ12m強)です。二の鳥居と和霊神社の神門の間を流れる須賀川には太鼓橋(神幸橋)がかかっています。人間しか通れない太鼓橋は非常にいい雰囲気の橋です。
和霊神社の境内には愛媛県松山市出身の墨絵アーティスト茂本ヒデキチ氏による絵馬が設置されています。
和霊神社の次に、徒歩10分弱の距離にある多賀神社に行きました。多賀神社の鳥居はとても変わった形でした。
多賀神社の後に、天赦園(てんしゃえん)へ行きました。天赦園は7代藩主の伊達宗紀(むねただ)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園です。1866年に築庭が竣工し、「天赦園」と命名されました。国の名勝です。なお、伊達宗紀は江戸時代としてはかなり長寿となる98歳まで生きました。隠居の場所「天赦園」を長年満喫されたことと思います。
園内には多くの藤棚があります。ちょうど藤の開花時期(4月中旬から5月上旬)であり、散策が楽しかったです。アヤメも綺麗に咲いていました。6月の上旬になると、花菖蒲が満開になります。
昼食後、「西予市宇和町卯之町伝統的建造物群保存地区」へ行きました。「西予市宇和町卯之町伝統的建造物群保存地区」は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。卯之町は宇和島藩への宿場町として栄えた街です。明治時代(1868年から1912年)や大正時代(1912年から1926年)の古い建築が残っており、ゆっくり散歩するのが楽しい街でした。
開明学校は1882年に町民の寄付により建築された擬洋風建築の小学校校舎です。四国最古の小学校でした。国の重要文化財です。国宝の旧開智学校(長野県松本市)と姉妹館提携をしています。
開明学校では戦前の教科書と学校経営資料など約6000点を展示しています。明治時代の教室が再現されており、タイムスリップしたような感覚になりました。開明学校は司馬遼太郎も訪問しており、「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」にも取り上げられています。
宇和民具館では江戸時代末期から昭和初期にかけて実際に卯之町で使用されていた民具約6,000点を収蔵展示しています。展示数の多さや展示の仕方の巧みさなど見学してとても楽しい民具館でした。私は宇和民具館は日本でも有数の民具館だと思います。是非、皆さんに訪問して欲しい民具館です。私も毎年でも訪問したいと思う民具館となりました。
宇和米博物館は1928年建築の木造校舎旧宇和町小学校を移築して「米どころ宇和」を紹介しています。109mと日本一長い木造建築の廊下があります。長い廊下でぞうきんがけをすることができます。今回、時間がなく、ぞうきんがけができませんでした。必ず再訪したいと思います。
卯之町の街並みはとてもいい印象でした。わずか1時間の滞在のスケジュールを組んだことに後悔しました。また、絶対に行きたい街となりました。
卯之町駅から伊予大洲駅へ移動しました。
私が乗車した宇和海16号はちょうど「アンパンマン列車」でした。
江戸時代初期の大洲は藤堂高虎の所領でした。大洲城主として丹羽長秀の子で高虎の養子の藤堂高吉が在城していました。大洲は「伊予の小京都」と呼ばれています。映画「男はつらいよ 寅次郎と殿様」のロケ地にもなりました。
なお、海援隊の坂本龍馬が使用したことで知られる蒸気船いろは丸は大洲藩の所有であり、大洲藩より海援隊に貸与していたものです。
大洲では最初に如法寺を訪問しました。伊予大洲駅から徒歩では約40分かかりますが、自転車では10分程度でした。如法寺は大洲藩2代藩主の加藤泰興(かとう やすおき)が、1669年に盤珪永琢(ばんけい ようたく)を開山として創立した臨済宗妙心寺派の寺院です。仏殿は国の重要文化財です。
素晴らしい仏殿だけでなく、山門や鐘楼も趣があり、如法寺はとても気に入りました。山門付近の参道には狸もいました。日本の典型的な山中の古寺だと思います。徒歩で行くには大変ですが、電動アシスト自転車を借りて是非多くの方に行っていただきたいです。
如法寺の次に、徒歩20分程度の場所にある盤泉荘(旧松井家住宅)に行きました。自転車では5分強でした。盤泉荘(旧松井家住宅)はフィリピンで貿易会社を経営し、マニラなどの各地で百貨店を経営する等により大きな富を成した松井國五郎氏によって1926年に建設された別荘です。高台にせり出すように建つ木造3階の建物です。窓からは肱川や近隣の山々などの自然景観が眺望できます。
盤泉荘では無料で館内を案内してくれます。とても詳しい説明をされる方で、その淀みない説明に感動しました。
臥龍山荘は盤泉荘から徒歩5分の場所にあります。臥龍山荘は明治時代の貿易商であった河内寅次郎が別荘として1907年に建てた数寄屋造りの建物です。「臥龍淵」と名付けられた肱川の淵の上に立ちます。国の重要文化財に指定され、庭園を含む一帯が国の名勝となっています。2011年にはミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの一つ星を獲得し、NHK夢の美術館「世界の名建築100選」にも選ばれています。
大洲城天守は1888年に取り壊されてしまいました。現在の大洲城天守は2004年に復元されたものです。解体をまぬがれた4棟の櫓(台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓)は全て国の重要文化財に指定されています。
三の丸南隅櫓は天守と少し離れた場所にあります。三の丸南隅櫓のすぐ横には現在はホテルになっている国の有形文化財「旧加藤家住宅主屋」があります。
肱川のほとりに立つ大洲城は遠景が似合います。築城の名手であった藤堂高虎がうまく肱川を天然の堀として利用したことが良く分かります。
伊予大洲駅から内子駅へ移動しました。「内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区」は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。内子町は江戸時代後期から明治時代にかけて木蝋(もくろう)の生産によって栄えた町です。現在では木蝋を生産する店は一軒しか残っていません。
内子の街並みは素晴らしいものでした。約600mの通りに伝統的な造りの町家や豪商の屋敷が軒を連ねています。そのほとんどの家に現在も内子の人々が住んで暮らしています。
上芳我家住宅、本芳我家住宅と大村家住宅は国の重要文化財です。
大森和蝋燭屋は内子に唯一残る木蝋屋です。木蝋とはウルシ科のハゼノキなどの果実を蒸してから、果肉や種子に含まれる融点の高い脂肪を圧搾するなどして抽出した蝋のことです。木蝋を英語ではJapan wax、ハゼノキをJapanese wax treeといいます。店ではとても丁寧に木蝋のことを説明してくれます。私は初めて木蝋を買いました。木蝋はとても柔らかな感触があり、温かみを感じます。
内子座は1916年に大正天皇の即位を祝い創建されました。木造2階建ての瓦葺き入母屋作り、純和風様式の本格的な芝居小屋です。国の重要文化財です。営業時間は16:30までだったため内部の見学ができませんでしたが、次回、内子に来た際には内部を見たいと思います。
内子駅では「鬼列車」が停車していました。愛媛県鬼北町(きほくちょう)では、全国の地方公共団体で唯一「鬼」の文字が入る自治体であり、「鬼のまちづくり」をコンセプトに町おこしを進めています。「鬼列車」は2021年7月に運行を開始したばかりです。1日4便の運行です。
食事
「JRホテル クレメント宇和島」のレストラン「シレーヌ」で朝食を食べました。私は宇和島に来てからまだ食べてなかった「鯛めし朝食膳」(税込1,800円)を食べました。「宇和島鯛めし」は宇和海で獲れた真鯛の刺身をタレ、生卵、海藻などとかき混ぜ、ご飯の上にかけて食べる料理です。簡単に言うと、真鯛の刺身と海藻入り卵かけご飯です。「宇和島鯛めし」は全国的にも有名な郷土料理だと思います。
「宇和島鯛めし」は宇和海の伊予水軍が船上で茶碗のご飯に醤油と刺身を混ぜ合わせ、かけて食べたのが起源と言われています。
一方、愛媛県松山市の「鯛めし」は焼鯛の炊き込みご飯です。私は鯛は刺身の方が好きなので、「松山鯛めし」より「宇和島鯛めし」のほうが好きです。
「シレーヌ」の「鯛めし朝食膳」はとても美味しく、あっという間に食べました。美味しい郷土料理を食べられて、とても幸せな朝でした。
レンタサイクルで2時間の宇和島観光を楽しんだ後、「郷土料理 大衆割烹 ほづみ亭」で昼食を頂きました。「ほづみ亭」での前日の夕食がとても美味しかったので、「ほづみ亭」の「宇和島鯛めし」も食べたくて再訪しました。「ほづみ亭」は食べログ百名店です。
「ほづみ亭」で注文したのは「鯛めし・さつま よくばりセット」(税込1,650円)と「ふくめん」(税込715円)です。「鯛めし・さつま よくばりセット」は「宇和島鯛めし」と「さつま飯」のセットです。ご飯の御櫃と茶碗が二つついてくるため、味が全く異なる「宇和島鯛めし」と「さつま飯」を味わえます。
「さつま飯」は麦味噌、だし汁、焼いた魚をほぐしたものをすり鉢で混ぜ、ご飯や麦飯にかけて食べる郷土料理です。「ほづみ亭」のおかみさんが前日の夕食時に、昔の宇和島の家庭では「さつま飯」がよく夕食に食べられた、と教えてくれました。「さつま飯」は「宇和島鯛めし」よりも宇和島のおふくろの味のようです。
「ほづみ亭」の「宇和島鯛めし」はとても美味しかったのです。ただし、「シレーヌ」の「宇和島鯛めし」と比べるとタレが濃いように思えました。いずれにせよ、「宇和島鯛めし」は真鯛の刺身をタレ、生卵、海藻を混ぜるだけの料理なので、味に大きな差が付きにくいように思います。
一方、「さつま飯」は味と香りに強烈なインパクトがありました。「さつま飯」は見た目の地味さとは裏腹に病みつきになりそうな美味しい料理でした。宇和島を再訪する際には必ず「さつま飯」を食べたいと思います。
松山市に到着し、繁華街の大街道の近くにある「大入亭」で夕食を頂きました。「大入亭」では「刺身の盛り合わせ」、「焼きなす」、「のれそれ」、「イカ納豆」を食べました。「大入亭」はご夫婦2人で営んでいる小さな居酒屋です。
「刺身の盛り合わせ」には真鯛、ホゴ、鰹、シマアジ、イサキ、マゴチ、アコウ、キビガレイ(ホシガレイ)、マイカ、ショウサイフグ、カンパチ、サヨリが入っていました。「大入亭」が素晴らしいのは「刺身の盛り合わせ」の魚の種類を皿に盛った位置に合わせて、手書きで紙に書いてくれることです。そのため、このように多くの魚の種類をBLOGに掲載することができました。
「刺身の盛り合わせ」は全ての魚が愛媛県産でした。全ての種類の刺身がものすごく美味しかったです。特に、感動的な美味しさだったのは、マゴチ、ショウサイフグでした。「大入亭」はほとんど地元の客でしたが、皆口を揃えて「大入亭」の刺身が松山で一番美味しいと言っていました。私も大満足でした。
なお、ホゴはカサゴのことで松山市の方言です。ちなみに、カサゴのことを宇和島市ではマホゴというそうです。ショウサイフグはフグ科トラフグ属の仲間で全長35cm前後の中型種のふぐのことです。トラフグやマフグと比較して安価なので、ショウサイフグは庶民のふぐとして親しまれているようです。ただし、私にとって、この日に食べたショウサイフグの刺身は最高の味でした。
アコウはキジハタのことです。「来島海峡のアコウ(キジハタ)」(旬:7月~9月)は全国漁業協同組合連合会が選ぶ愛媛県の「PRIDE FISH」です。来島海峡は愛媛県今治市にある海峡です。来島海峡は速い潮流と豊富なプランクトンに恵まれた絶好の漁場です。夏のアコウの味は絶品らしいので、是非、夏に「来島海峡のアコウ(キジハタ)」を食べたいと思います。
「大入亭」ではご飯類を食べなかったので、「やきやき鉄板グリル ひまわり 一番町電車通り店」で「元祖三津浜焼き」を食べました。
「三津浜焼き」は松山市西部の旧三津浜町周辺で食べられているお好み焼きです。三津浜のソウルフードです。大正時代に水で溶いた小麦粉を焼いてネギなどを乗せ、ソースをかけて出していた物が「一銭洋食」として売り出されていました。この「一銭洋食」が「三津浜焼き」の起源と言われています。なお、「三津浜焼き」は広島風お好み焼きと異なり、二つ折りにします。
形状が似ている「広島風お好み焼き」も元々は子供のおやつであった「一銭洋食」が原型です。第二次世界大戦後の1950年ごろにできた屋台街で開業した「みっちゃん」の井畝井三男と「善さん」の中村善二郎が広島風お好み焼きの元祖と言われています。以下の写真は2022年3月に行った「みっちゃん総本店」の広島風お好み焼きです。
「三津浜焼き」と「広島風お好み焼き」の最大の違いは焼き方です。三津浜では生地を鉄板で焼き、その上に味付けをした麺を載せます。一方、広島では生地の上にキャベツや具材等を載せ、その後で生地と具材を麺の上に被せる焼き方が一般的です。以下の写真の1枚目は「三津浜焼き」、2枚目は「広島風お好み焼き」です。
「やきやき鉄板グリル ひまわり」の「元祖三津浜焼き」は広島の大行列店「みっちゃん総本店」に匹敵する美味しさでした。私は松山市に何度か旅行に行っていますが、今回、「三津浜焼き」を初めて食べました。今まで食べなかったことを後悔しました。これからは松山に行く際には「三津浜焼き」を必ず食べることとします。「広島風お好み焼き」は全国的に有名ですが、「三津浜焼き」ももっと有名になってもおかしくないと思います。是非、多くの方に「三津浜焼き」を食べて欲しいです。
注意点
伊予大洲駅観光案内所では電動アシスト自転車のレンタサイクル料金は2時間で600円、1日1,000円と格安です。大洲の街も徒歩で回るには時間がかかるので、自転車で観光拠点を回るのが効率的でお勧めです。また、内子駅の「旅の案内所」での電動アシスト付き自転車は3時間以内900円、1日1,200円と格安です。一方、宇和島市観光情報センター「シロシタ」ではレンタサイクル料金は1日2,000円(Eバイク)です。時間貸しがないので、かなり割高感があります。
内子では木蠟資料館や内子座など営業時間が16:30までの施設が多いです。一方、飲食店の開店時間は18:00が多いので、16:30から18:00までは手持ち無沙汰になります。従って、多くの観光客が内子から松山に行き夕食を食べることになると思います。観光客にとっても不便ですし、内子にとっては観光客のお金が落ちにくいのではないでしょうか。
8、4月21日(木曜日)4日目
4月21日(木)の朝に、太山寺(たいさんじ)へ行きました。片廻のバス停から太山寺本堂までは徒歩15分程度です。国の重要文化財である二の門(二王門)までは徒歩5分強なのですが、太山寺本堂まで二の門(二王門)から緩やかな坂道を10分ほど歩く必要があります。「太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし」と御詠歌に歌われたように、本堂までの坂道は歩くと疲れます。
二の門(二王門)は1305年に再建された入母屋造八脚門です。二の門(二王門)をくぐると国宝の本堂へ向けた期待が高まります。三の門(四天王門)は1683年に再建された門です。
三の門(四天王門)をくぐるとすぐ国宝の本堂があります。本堂は鎌倉時代の1305年の建立です。屋根は入母屋造本瓦葺きで木造建築としては愛媛県最大です。建築様式は和様を基調とし、細部には大仏様(天竺様)を取り入れています。素晴らしい本堂で、しばらく見とれてしまいました。
太山寺の創建は587年です。御堂は一夜にして建立されたとして、「一夜建立の御堂」と伝えられています。その後、739年に聖武天皇の勅願をうけて、行基菩薩が十一面観音像(国の重要文化財)を彫造し、本尊にしたといいます。
鐘楼堂は1655年の再建です。1383年に作られた梵鐘は愛媛県指定有形文化財です。
国宝の太山寺本堂は本当に素晴らしく、松山市内から少し時間はかかりますが、行く価値がある寺だと思います。
太山寺の次に、大宝寺へ行きました。大宝寺の本堂は愛媛県内最古の木造建築で国宝に指定されています。建築様式は和様です。鎌倉時代(1185年~1333年)前期の建立と推定されています。寺伝によれば、701年に地元の豪族小千(越智)玉興が大宝寺を創建したと伝えられています。
本尊の木造阿弥陀如来坐像1躯など3体の仏像が国の重要文化財に指定されています。
大宝寺本堂は太山寺本堂と比較するととても小さく、また、本堂の前のうば桜によって本堂が見にくく、あまり国宝としての価値を理解できませんでした。
大宝寺から大街道に戻り、昼食後、かなり激しく雨が降ってきました。そのため、午後の観光は大街道のすぐ近くの萬翠荘に行って写真を撮るだけになりました。
萬翠荘の本館と管理人舎は国の重要文化財です。萬翠荘は1922年に旧松山藩主子孫の久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が別邸として建設したものです。フランス・ルネッサンス風の洋館で、設計は建築家の木子七郎です。木子七郎は西欧の建築を学ぶために数ヶ月間ヨーロッパを遍歴した後に萬翠荘を設計しました。萬翠荘は松山市で最も古い鉄筋コンクリート造建築になります。
なお、萬翠荘の横に建つ「坂の上の雲ミュージアム」の設計は建築家安藤忠雄です。
今回は午後の雨により、予定していた観光地に行けずに残念でした。2020年11月にも松山観光をしましたので、その際の写真をいくつか投稿します。
松山城は現存12天守のうちの一つです。天守は江戸時代後期に再建されたもので、現存十二天守の中で最も新しい天守です。今回は遠景は見れましたが、雨により松山城の近くに行くのは断念しました。
松山城の大天守を含む21棟の建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されています。松山城は日本三大平山城の一つ(他は姫路城、津山城)であり、三大連立式平山城の一つ(他は姫路城、和歌山城)です。今回見た遠景では連立式平山城であることが良く分かります。連立式というのは天守の縄張り型式のひとつで、天守と小天守や櫓を空から見ると四角になるように渡り廊下や多聞櫓でつないだものです。
石手寺はマントラ洞窟や境内の変わった石仏などがあり、訪問して楽しい寺です。2009年のミシュラン・グリーンガイド・ジャポンにおいて1つ星に選定されています。
石手寺はユニークな石仏などで人気があります。しかし、多くの文化財もある魅力的な寺です。石手寺の二王門(仁王門)は国宝です。1318年の建立とみられています。
石手寺における国の重要文化財は本堂、三重塔、訶梨帝母天堂、鐘楼、護摩堂、五輪塔、銅鐘、木造金剛力士立像と8つもあります。
道後温泉本館も国の重要文化財です。石手寺から徒歩15分程度です。
今回の高知県、愛媛県旅行は最終日に降雨となり残念でした。しかし、四万十川などの自然を満喫でき、また、多くの国宝や国の重要文化財、国の重要伝統的建造物群保存地区などを訪問することができ、大満足の旅行となりました。司馬遼太郎の「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」では松山空港から大洲、卯之町、宇和島を通過し、高知県(四万十市)へ行く道を紹介していました。偶然ですが、私が今回旅行したのは「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」のちょうど逆回りとなりました。お勧めのルートです。
食事
4月21日午前中の松山観光を終え、予約していた「鮨 いの」で昼食を頂きました。「鮨 いの」で頂いたのは「ランチコース」(税込8,800円)です。寿司のグレードを考慮すればとてもお得なコースだと思います。
寿司の握りはカレイ、石鯛、サヨリ、アオリイカ、アジ、甘鯛、マグロ赤身漬け、コハダ、車海老、穴子を頂きました。
「鮨 いの」は2020年にも訪問し、とても感動した寿司屋です。今回も全て絶品で、至福の時間を過ごしました。なお、「鮨 いの」はミシュラン一つ星を獲得したことがある名店です。また、食べログ百名店です。
「鮨 いの」で美味しい寿司を満喫した後に、「OKAIDO BREWERY」でクラフトビールを飲みました。午後の観光が降雨により、行けなくなったので、クラフトビールを飲もうと探したら、「OKAIDO BREWERY」を見つけました。
「OKAIDO BREWERY」は松山三越百貨店の「坊ちゃんフードホール」にあるクラフトビール店です。「坊ちゃんフードホール」は2021年12月に開業したばかりの新しいフードコートです。なお、「OKAIDO BREWERY」はビールが主な提供商品ですが、同じフードコートの「一の丸酒店」では愛媛県産を中心に多くの日本酒を提供しています。従って、昼間でもフードコートで様々なアルコールを楽しむことができます。
「OKAIDO BREWERY」では「坊ちゃんフードホール」限定ビールの「だんだんエール」などを販売しています。松山市の水口酒造が生産する「道後ビール」のアルトも提供しています。「だんだんエール」、「道後ビール」ともとても美味しいビールでした。
早めの夕食を大街道地区にある「すし丸本店」で食べました。「すし丸本店」は1948年創業の老舗寿司店です。「すし丸本店」も2020年以来の再訪となりました。
私が注文したのは「地酒飲み比べセット」、「鯛そうめん」です。
「地酒飲み比べセット」での日本酒は愛媛県産の「石鎚」、「松山三井」、「城川郷」の3種類でした。どれもおいしい日本酒でした。
「鯛そうめん」は宇和島でも食べました。雨が降り寒い日でもあったので、松山では温かい鯛そうめんを注文しました。「鯛そうめん」は農林水産省の「うちの郷土料理」で紹介されている愛媛県の郷土料理です。「すし丸本店」で食べた「鯛そうめん」は美味しかったのですが、見た目の華やかさに欠けました。
松山空港に到着し、時間が余ったので、「かどや 松山空港店」で高知・愛媛旅行の最後の食事をしました。松山空港の「かどや」は松山空港に来るたびに利用しています。
「かどや」では「宇和島づくし 鯛めし膳」(税込2,100円)を注文しました。「宇和島づくし 鯛めし膳」には「鯛めし」の他にも「ふくめん」、「じゃこ天」、「ふかの湯ざらし」の3種類の小皿がつく宇和島の郷土料理を満喫できるセットです。
「かどや」の「鯛めし」は宇和島で食べた2回の「鯛めし」同様に、とても美味しかったです。空港でこの水準の食事ができるのは松山空港ならではです。実際、「かどや 松山空港店」はほぼ満席で多くの旅行者で賑わっていました。
今回の高知県、愛媛県旅行は最終日に降雨となり残念でした。しかし、高知・愛媛の旬の初鰹や四万十川の天然鰻、宇和島・松山の多くの郷土料理や寿司・刺身など大満足のグルメ旅行となりました。私は元々、四国旅行が好きなのですが、今回の旅行でますます四国が好きになりました。
注意点
4日目は特に困ったことはありませんでした。
(注:文中に掲載している交通機関の出発・到着時間や運賃、入場料、食事の料金などはBLOG執筆時のものです。今後変更する可能性がありますので、旅行に行く際にご自身でご確認ください。)