2月の日本旅程(兵庫、鳥取、島根旅行)のまとめ、注意点
2月23日(水)から2月27日(日)にかけて、兵庫県、鳥取県、島根県を旅行しました。今回の旅行では旬の魚介類や郷土料理を多く食べられ、国宝や国の重要文化財など素晴らしい観光地を訪問することができました。今回の旅行は兵庫県、鳥取県、島根県の主に日本海側での旅行であったため、松葉ガニなど日本海の新鮮な魚介類を満喫できました。また、ぼたん鍋(イノシシ肉)など山の幸も存分に食べることができました。皆さんに強くお勧めしたい2月の日本旅程です。今回の旅行のまとめといくつかの注意点を報告します。
毎回同じコメントになりますが、今回の旅程も「旬の魚介類と郷土料理を食べ尽くす」という目的で作成したものです。食が最優先で、観光地の優先順位は2番目です。とはいえ、国宝や国の重要文化財など観光スポットをできるだけ多く回ることを目指しました。
目次
1、今回の日本旅程で食べられた「郷土料理百選」と「御当地人気料理特選」
1、今回の日本旅程で食べられた「郷土料理百選」と「御当地人気料理特選」
兵庫県:ぼたん鍋
ぼたん鍋はイノシシ肉を冷凍して、年中食べられる店もありますが、通常は猪の狩猟期間である11月15日から3月15日まで(2021年~2022年の場合)が「ぼたん鍋」の旬です。猪の狩猟期間には生のイノシシ肉を食べることができます。猪猟は静岡県の天城山、岐阜県の郡上八幡とともに、丹波篠山地方も「日本三大猟場」として全国的に有名です。
明治時代、兵庫県篠山町に駐屯していた、旧日本陸軍が訓練で捕獲した猪肉を味噌汁に入れて配給したのが「ぼたん鍋」のはじまりと言われています。つまり、丹波篠山地方が「ぼたん鍋」の発祥です。丹波篠山の猪は丹波栗などの木の実や、丹波松茸、穀物を食べるため、脂っこくない、とても美味しい猪肉になります。全国の「郷土料理百選」でイノシシ肉では兵庫県の「ぼたん鍋」しか選ばれていないことが兵庫県のイノシシ肉の美味しさを証明しています。
丹波篠山市公式観光サイトによると、「ぼたん鍋」の由来は庶民の肉食が禁止されていた江戸時代には「猪」を「ぼたん」に置き換えて呼んで食べていたことが由来のようです。同様に、「馬」は「さくら」、「鹿」には「もみじ」という呼ばれていました。
私は「ぼたん鍋専門店 ぼたん亭」で「ぼたん鍋」を食べました。
「ぼたん鍋専門店 ぼたん亭」で私が注文したのは特上ロース肉と特上カルビ肉が半々に入った「ミックス鍋」でした。「ぼたん亭」の猪肉は猟期の間、生肉の新鮮さを保ちつつチルド冷蔵で寝かせ、猪肉の旨味を引き出した肉でした。
「ぼたん鍋」は「絶品」でした。栗を混ぜ込んだ味噌を使い、大量の猪肉と野菜、椎茸、豆腐など入れた「ぼたん鍋」は互いの味が鍋にしみ出して絶妙な味となり、悶絶するほどの美味しさでした。
兵庫県の「郷土料理百選」には「ぼたん鍋」の他に、「いかなごのくぎ煮」が選ばれています。2022年の「いかなご」漁の解禁日(播磨灘、大阪湾)は3月1日でした。
「御当地人気料理特選」には「明石焼き」と「神戸牛ステーキ」があります。「明石焼き」は2021年10月の旅行で食べました。一方、「神戸牛ステーキ」を食べられませんでしたが、「但馬牛ステーキ」は食べました。ちなみに、神戸牛は出荷の際に但馬牛の中から厳選された牛肉のことです。従って、「但馬牛ステーキ」は「神戸牛ステーキ」とほぼ同じです。
鳥取県:あごのやき
私はあごのやきを米子駅から宍道駅に向かう列車の中で駅弁と一緒に食べました。
「あご野焼」は「あご(トビウオ)」をすり身にして味付けして棒に錬り付けて焼く料理です。普通の竹輪の原材料はスケトウダラ・サメ・ホッケなどですが、「あご野焼」はトビウオを原材料にしてつくられています。本来、「あご野焼」と「あごちくわ」の違いは大きさです。「あご野焼」は大きいものでは長さ70cm、重さ1kg以上になるそうです。ただし、私が買ったお土産用の「あご野焼」は竹輪よりは大きいものの、長さ20cmくらいでした。ただし、とてもボリュームがあり、食べるのは大変でした。
今回は冷たい「あご野焼」をかじりついて食べましたが、機会があれば、作り立ての熱い「あご野焼」を輪切りにして食べたいと思います。
鳥取県では「御当地人気料理特選」が選ばれていません。しかし、農林水産省が選ぶ「うちの郷土料理」に27種類の料理が選ばれています。そのうち、「あご野焼」は「郷土料理百選」と重複します。「大山(だいせん)おこわ」、「とうふちくわ」は米子駅から宍道駅に向かう列車の中で食べ、「らっきょう漬け」は米子市内の「和食居酒屋 旬門」で食べました。
「大山おこわ」は大山で修業する人たちに振る舞われていた精進料理の大山寺のおこわが家庭にも広がったとみられています。栗などが入った醤油味のおこわで優しい味でした。農林水産省の「うちの郷土料理」に選ばれています。
「とうふちくわ」はその名の通り、豆腐を使った竹輪です。全国でも鳥取県に見られる独特の加工食品です。木綿豆腐と白身魚のすり身をほぼ7対3の割合で混ぜて蒸し上げて作ります。豆腐の割合が多いので、ほぼ真っ白の色となります。豆腐なので、醤油をつけて食べるととても美味しかったです。私は豆腐好きなので、普通の竹輪よりも「とうふちくわ」のほうが好きです。
鳥取県はらっきょうの生産量は日本で1位です(2019年)。「和食居酒屋 旬門」の「らっきょう漬け」はとても美味しかったです。
鳥取県では「郷土料理百選」、「御当地人気料理特選」、「うちの郷土料理」以外にもご当地グルメである「ホルモンソバ」、「牛骨ラーメン」を食べました。
ホルモンソバは鳥取市など鳥取県東部で地元民に愛されている牛ホルモン入りの焼きそばです。鳥取市の「御縁」という店でホルモンソバを頂きました。私が食べたホルモンソバは麺とホルモンとソースが絶妙に絡み合いとても美味しい焼きそばでした。
牛骨ラーメンとは牛骨をベースにスープを取るラーメンです。鳥取県は大山での牧畜業、とくに牛の生産が盛んな地域です。私は米子駅近くにある「ラーメン 大和」で牛骨ラーメンを食べました。見た目は脂が多いように思いますが、意外にあっさりしていて美味しいラーメンでした。
島根県:出雲そば
私は出雲そばを松江駅近くの「奥出雲そば処一福(いっぷく)」でを食べました。「出雲そば」は日本三大蕎麦の一つ(他の二つはわんこそば、戸隠そば)です。松江藩初代藩主の松平直政が信濃国松本藩から国替えとなった際、信濃から蕎麦職人を連れてきたことが「出雲そば」の始まりと言われています。丸い漆器に茹でた蕎麦を盛って出す割子そば(わりごそば)が「出雲そば」の一般的な食べ方です。
「奥出雲そば処一福」の「出雲そば」はとても美味しい蕎麦でした。島根県の地酒「七冠馬」ともよく合う蕎麦でした。
島根県でも鳥取県同様、「御当地人気料理特選」が選ばれていません。今回、島根県では宿泊しなかったので、「出雲そば」以外の島根県の料理はほとんど食べられませんでした。唯一、「浜田の赤天」を米子市の「和食居酒屋 旬門」で食べました。「浜田の赤天」は島根県浜田市のソウルフードです。赤天とは練り物に赤い色をつけピリ辛味に仕上げた蒲鉾のことです。パン粉をつけて揚げるので、サクサクとした食感も楽しめます。
2、今回の日本旅程で食べられた旬の「PRIDE FISH」
兵庫県:無し
兵庫県では「PRIDE FISH」は食べられませんでした。しかし、「PRIDE FISH」には含まれていませんが、旬の「活松葉ガニ」を豊岡市で食べることができました。「松葉ガニ」は兵庫県や山陰地方での「ズワイガニ」の呼び名です。
ズワイガニの漁獲量ランキングは兵庫県が1位、鳥取県が2位、福井県が3位、4位北海道、5位石川県(2020年)となります。なお、福井県ではズワイガニを「越前ガニ」、石川県では「加能ガニ」と呼びます。
今回、私が食べた「活松葉ガニ」は兵庫県の津居山港で水揚げされたブランド蟹です。津居山港とついたプラスチック製の青色のタグが産地証明です。津居山港は豊岡駅から北に15kmほどの場所にある漁港です。
私は「活松葉ガニ」の一番美味しい食べ方は刺身だと考えています。刺身で食べると「活松葉ガニ」の甘い味がより鮮明に感じられ、その美味しさに悶絶します。茹で松葉ガニは冷凍蟹を使っている場合も多く、せっかくの旬の季節に茹で松葉ガニを食べるのはもったいないと思います。
次に、焼き松葉ガニを食べました。焼き松葉ガニも香ばしくて美味しいのですが、やはり刺身の美味しさには叶いません。
鳥取県:松葉がに(ズワイガニ)、鳥取のハタハタ、鳥取のサワラ
鳥取県では冬の「PRIDE FISH」である松葉がに(旬:11月~3月)、春の「PRIDE FISH」である鳥取のハタハタ(旬:3月~5月)、秋の「PRIDE FISH」である鳥取のサワラ(旬:10月~3月)の3種類の「PRIDE FISH」を食べることができました。
松葉ガニ、ハタハタ、サワラは鳥取市で、サワラは米子市でも食べられました。
鳥取市の「味暦あんべ」の「活松葉ガニ」は一杯4,500円と信じられないくらいのお得な価格でした。店主に聞くと現金仕入れなので、大きく値引きして仕入れられるとのことでした。「活松葉ガニ」は刺身と焼きで食べました。
焼き蟹は自分で焼いて食べる形式です。甲羅に入った蟹味噌を焼いて食べるのは最高の贅沢でした。その熱い蟹味噌に蟹の刺身をつけながら食べる方法を店主に教えてもらい、実際に試してみたら、これも最高の美味しさでした。贅沢過ぎる食べ方でした。
ハタハタの刺身は人生で初めて食べました。通常、ハタハタは焼いて食べることが多く、私も12月の秋田旅行、1月の山形旅行の際に焼きハタハタを食べました。今回は刺身のハタハタにチャレンジしました。ハタハタものどくろ同様に、とても脂がのっており、悶絶するくらいの美味しさでした。
なお、2020年のハタハタの漁獲量は鳥取県が2位(1位は兵庫県)となっています。
どうしても鰆の刺身と比較すると、鰆と白ネギの南蛮漬けはインパクトに欠けますが、平均以上の美味しさでした。私が行った日は鰆の刺身がなかったので、南蛮漬けを注文しました。
米子市の「和食居酒屋 旬門」で注文した名物刺身桶盛りにシロイカとハマチとともに、さごしが入っていました。さごしは鰆の幼魚です。とても美味しいさごしでした。
「PRIDE FISH」に選ばれていませんが、「味暦(あじごよみ)あんべ」では旬(9月~5月)の「もさえび(クロザコエビ)」を食べられました。「もさえび」は鮮度劣化が早く、遠くへの出荷が難しいため、地元でしか味わえない幻のエビです。甘エビ(ホッコクアカエビ)以上の甘味と弾力性のある食感で甘エビの刺身を完全に凌駕する美味しさでした。
島根県:無し
今回、島根県では宿泊しなかったので、島根県の「PRIDE FISH」は食べられませんでした。ただし、島根県の冬の「PRIDE FISH」は隠岐松葉ガニ(旬:11月~2月)なので、兵庫県と鳥取県で食べた松葉ガニで今回は満足です。
「PRIDE FISH」は全国漁業協同組合連合会の選定です。
3、今回の日本旅程の注意点(ローカル鉄道)
毎回同じことを書いていますが、大事なことなので繰り返します。今回も旅行のルールとして、レンタサイクルを含む公共交通機関のみを利用する環境配慮型旅行としています。
こちらも再確認となりますが、公共交通機関を利用する旅行は自動車での旅行と比べるとCO2排出量は圧倒的に少なくなります。例えば、国土交通省のデータでは、1人が1km移動する際のCO2排出量は自動車の130gに対し、航空機は98g(自動車の75%)、バスは57g(同44%)、鉄道は17g(同13%)です。
毎回、コメントは変わりませんが、今回もワンマン列車の乗降方法が分かりにくかったです。「JR山陰本線」(私は城崎温泉駅から鳥取駅までと宍道駅から松江駅まで乗車)と「JR因美線」(私は津ノ井駅から鳥取駅まで乗車)はワンマン列車でした。
ワンマン列車では乗降の際、ボタンを押してドアを開ける必要があります。また、乗車時は整理券を取り、降車時は整理券とお金を運賃箱に入れて降ります。
乗降の仕方について車内にポスターが貼っていましたが、今回も日本語のみでした。鉄道事業者や観光協会は責任を持って外国語での案内をすべきです。
ワンマン列車の場合は常に1両目に乗るようにすれば安心です。日本の地方を旅行する際には電車の乗降ルールは絶対に覚えておきましょう。ただし、1両目の前方ドアから乗るのか後方ドアから乗るのかは鉄道事業者によって異なります。
また、鳥取駅では県庁所在地の駅ではありますが、自動改札ではありません。JR山陰本線の多くの駅も自動改札ではないので、注意が必要です。
細かな注意点は旅行日にそれぞれ書きましたのでご覧ください。
4、身軽な恰好での旅行
こちらも毎回、繰り返しになりますが、今回の旅行でも自分の衣服や電源コードを宿泊先に事前に送り、毎日「手ぶら旅行」を楽しみました。やはり、散歩するような身軽な恰好で旅行するのはとてもラクです。鉄道や飛行機で到着後すぐに行動できるのは時間の有効活用に大切なことです。特に、今回は4泊とも宿泊場所を変更したので、荷物を持ち歩いていたら大変だったと思います。また、今回、豊岡市や鳥取市は雪道でした。キャリーバッグの運搬は雪がない道と比べると何倍も大変になります。冬こそ、「手ぶら旅行」をして欲しいです。今回も旅行の最終日には、洗濯代行業者に旅行中に着た衣服を送り、洗濯もせずにすみました。皆さんにも「手ぶら旅行」の快適さを経験して欲しいです。
5、2月23日(水曜日)1日目
観光スポット
2月23日(水)から4泊5日で兵庫県、鳥取県、島根県を旅行しました。今回も荷物を旅行先に送り、「手ぶら旅行」を楽しみました。まず、羽田空港から伊丹空港へ飛び、丹波篠山市へ向かいました。
丹波篠山市に到着後は「ぼたん鍋専門店 ぼたん亭」で最高に美味しい昼食を食べ、市内散策に出かけました。丹波篠山市の東新町、西新町、南新町、北新町、河原町、小川町、立町の一部が篠山伝統的建造物群保存地区として国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。市内のほとんど全ての観光スポットは歩いて廻ることができます。古い町並みを楽しみながら散策できる素敵な街です。
最初に訪れた「大正ロマン館」は1923年(大正12年)に建築された旧篠山町役場です。大正ロマネスク調の雰囲気がある綺麗な建物です。
大正ロマン館にすぐ近くにある篠山城は1609年に天下普請の城として、徳川家康が15ヶ国、20の大名に命じて作られました。財団法人日本城郭協会が選定した「日本100名城」に選ばれています。
篠山城大書院は天守のなかった篠山城の 中核をなす建物でした。大書院は木造住宅建築としては非常に規模が大きく、京都二条城の二の丸御殿(国宝)に匹敵する規模です。床面積は739.33平方メートル、棟高は12.88メートルもあります。
篠山城大書院は1944年に焼失してしまい、現在の建物は2002年に再建されたものです。篠山城大書院の内部は見学できます。とても見応えがあります。
篠山城内には藩主青山家の忠俊と忠裕を祭神として祀る青山神社もあります。 青山家は江戸幕府の老中など要職を歴任した徳川譜代大名の家柄でした。
青山歴史村・デカンショ館は篠山城跡のすぐ近くにあります。入口の旧澤井家長屋門は丹波篠山市の指定文化財です。
版籍奉還後に、篠山藩主青山家の別邸として建てられた「桂園舎」は元大名の別邸としてはとても質素な建物です。
デカンショ館は全国的に有名な盆踊り歌として歌われる民謡「デカンショ節」や丹波篠山の魅力を紹介する施設です。2015年に文化庁による日本遺産の最初の18件の一つとして「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」が選ばれました。
丹波篠山市の御徒士町は江戸時代当時の面影を残す武士屋敷群です。
安間家は篠山藩主青山氏の家臣でした。安間家住宅は木造・茅葺の典型的な江戸時代後期の武士屋敷です。
安間家住宅の内部にも甲冑など様々な武家の展示物があり、見ごたえがありました。
安間家住宅の中に展示されていた稲畑人形は丹波市重要無形文化財です。
安間家住宅の並びにある佐藤家住宅は特別に公開していました。茅葺を葺き替えたばかりの住宅です。家主は非常に気さくな方で各種資料や甲冑を公開していました。錦絵などは個人所有とは思えないくらいに保存状態が良く、見ていて楽しかったです。佐藤家住宅は入場無料です。
河原町妻入商家群は約600mの通りに江戸時代の面影を色濃く残す商家の家並みです。御徒士町武家屋敷群は通り全体と言うよりも武家屋敷が点在していましたが、河原町妻入商家群では商家がきれいに立ち並び、散策してより楽しいと感じました。
王地山まけきらい稲荷は河原町妻入商家群から徒歩5分ほどの場所にある稲荷神社です。一の鳥居から約200段の階段を上ると稲荷本殿があります。赤い鳥居は44基あります。
丹波篠山市立歴史美術館は元篠山裁判所です。篠山裁判所は篠山藩庁の建物を使用して1870年(明治3年)に発足しました。木造建築の裁判所としては我が国最古級です。
春日神社は約1,000年前に奈良の春日大社から分霊されました。1609年に篠山城築城のため、現在の地に奉遷しました。
春日神社の能舞台は国の重要文化財です。能舞台は能楽愛好者であった篠山藩主の青山忠良公が1861年に奉納したものです。年に2回の能楽奉納時(元旦の「翁」の元朝能、春の「春日能」)以外は雨戸で閉ざされており、能舞台を見ることができないのは残念です。
春日神社の絵馬殿に奉納されている「黒神馬」は丹波篠山市の指定文化財です。この絵馬は1649年、篠山藩主松平忠国公が奉納された大額で、狩野尚信(なおのぶ)が描いたと伝えられています。絵馬殿には素晴らしい絵馬が多くあり、絵馬殿に行くだけでも春日神社に行く価値があると思います。
誓願寺は丹波の武将、波多野秀治(はたの ひではる)が天正年間(1573年~1592年)の初めに覚山天誉上人(室町幕府十三代将軍足利義輝の子)を開山として創建しました。室町時代の建築様式を残す楼門は丹波篠山の指定文化財です。楼門は釘を一本も使わない組み合わせ工法で作られました。
丹波篠山で宿泊したホテルは「篠山城下町ホテルNIPPONIA」です。「篠山城下町ホテルNIPPONIA」は「篠山城下町全体をホテルに」というコンセプトで運営されている古民家ホテルです。
食事
旅行の最初の食事として、「ぼたん鍋専門店 ぼたん亭」で「ぼたん鍋」を食べました。今回、丹波篠山市を訪問した最大の理由が「ぼたん鍋」を食べることでした。「ぼたん鍋」は農林水産省により、兵庫県の「郷土料理百選」に選ばれています。
鳳鳴酒造は1797年創業の老舗酒蔵です。店の建物もとても古く、高い天井などとてもいい雰囲気でした。雛人形も飾ってありました。
鳳鳴酒造では飲み比べセット5種(660円)を飲みました。純米大吟醸酒から純米酒までどれもとても美味しいお酒でした。しかも、5種とも結構量が多く、とても飲みごたえがある飲み比べセットでした。
鳳鳴酒造では酒蔵の見学もできました。民俗資料館と見間違うような素晴らしい酒蔵で、江戸時代にタイムスリップしたように感じました。
夕食は宿泊先の篠山城下町ホテルNIPPONIAで頂きました。古民家ホテルなので、レストランの入り口(フロントの少し先)からいい雰囲気でした。
篠山城下町ホテルNIPPONIAの夕食はフレンチコースでした。最初の料理は「季節野菜のガルグイユ」でとても美しい盛り付けでした。「ガルグイユ」とはフランスの3つ星レストラン「ミッシェル・ブラス」の代表料理のようです。
次に、「蕪のヴルーテ」を頂きました。ヴルーテとはカブや白ネギ、玉ネギなど白い野菜を使ったスープだそうです。おいしいスープでした。
次に、「鮮魚のグリエ(牛蒡のアクセント 酒粕ソース)」を頂きました。特に、揚げた牛蒡がおいしかったです。
メイン料理として、「但馬牛のロティ」を頂きました。ロティとは低温ローストされたビーフ、つまりローストビーフのことのようです。
注意点
篠山城下町ホテルNIPPONIAは古民家を改造したホテルなので防音が全然良くなかったです。古民家なので仕方ないのですが、音を気にする人はかなり気になると思います。篠山城下町ホテルNIPPONIAに宿泊する際は事前に防音がかなり良くないことを理解して宿泊すべきでしょう。
丹波篠山市のバスは時刻表よりも早い時間に到着したことが何度がありました。通常、バスは時刻表よりも遅れることが多いのですが、丹波篠山市では少し早めにバス停に着いた方がいいと思います。
6、2月24日(木曜日)2日目
観光スポット
柏原では国の重要文化財の「柏原八幡宮」を見学するのが主な目的です。柏原は初訪問でしたが、散策して楽しい街でした。丹波篠山に行かれる際には、是非、柏原にも行っていただきたいです。
まず、最初に「太鼓やぐら」へ行きました。「太鼓やぐら」は柏原藩邸の造営(1714年)前後に作られました。
「柏原八幡宮」の社殿(本殿及び拝殿)は国の重要文化財です。舒明天皇の時代(629~641年)に素戔鳴尊(すさのおのみこと)を奉祀したのが創始と伝えられています。現在の社殿は天正13年(1585年)に羽柴(豊臣)秀吉によって再々建されたものです。社殿の建築様式は「権現造」の先駆けとなる建築様式として貴重です。なお、「権現造」とは本殿と拝殿の2棟を一体化し、間に「石の間」と呼ばれる一段低い建物を設ける建築方法です。
境内には三重塔があります。神社に塔があるのは全国でも18例しかなく、神仏習合当時の景観を現代に伝えています。三重塔と釣鐘は兵庫県指定重要文化財です。
「柏原八幡宮」がある入船山の麓に「丹波市役所 柏原支所」があります。「丹波市役所 柏原支所」は1935年に旧柏原町役場として建てられた木造洋館2階建ての建物です。
丹波市役所 柏原支所のすぐ横には兵庫県指定文化財、天然記念物である大ケヤキ(木の根橋)があります。樹齢1000年とも推定される巨木で、長さ10mになる自然の橋梁となっていることから「木の根橋」とも呼ばれています。
丹波市役所 柏原支所、大ケヤキ(木の根橋)のすぐ近くに「織田神社」があります。「織田神社」は柏原藩3代目藩主、織田信勝が「織田権現」として祀られています。信勝は織田信長の弟、初代柏原藩藩主織田信包の孫です。かなり、質素な神社です。
「織田神社」から徒歩5分ほどの距離にある「建勲神社」は織田信長を祭神とする神社です。日本では織田信長をを祀る「建勲神社」は3ヶ所(京都府京都市、山形県天童市)しかありません。「織田神社」同様、かなり簡素な神社で一時は日本を支配した織田家の栄枯盛衰ぶりを感じさせます。
旧氷上高等小学校校舎は 1885年(明治18年)に竣工した木造2階建ての校舎です。兵庫県の重要有形文化財です。
柏原藩主織田家旧邸長屋門は1714年に建てられたもので、1818年の藩邸全焼の際にも災禍を免れ、創建当初のものが残っています。入母屋造です。兵庫県指定文化財です。
長屋門をくぐると柏原藩陣屋跡があります。柏原藩陣屋は長屋門同様に、1714年に建てられました。全国でも数少ない陣屋遺構として、国の史跡に指定されています。
柏原散策を楽しんだ後は、出石へ行きました。
バスターミナル城下町出石に到着後、出石そばを食べ、出石のシンボル辰鼓楼へ行きました。
辰鼓楼は城の石垣など廃材を利用して1871年(明治4年)に建てられました。1881年9月8日から時計台として稼働し始めました。札幌時計台は1881年8月12日の稼働なので、日本で2番目に古い時計台です。今では豊岡市出石伝統的建造物群保存地区(国の重要伝統的建造物群保存地区)を代表する建造物となっています。辰鼓楼の由来は建設当初、辰の刻(7時から9時)の城主登城を知らせる太鼓を叩く楼閣であったためです。
辰鼓楼から徒歩数分の場所にある出石城跡は1604年に有子山城山麓の郭および館のみを出石城と命名し江戸幕府に居城として届けた城です。
有子山城の石垣は有子山山頂に今でも残っています。なお、有子山城は1574年に室町時代の有力守護であった山名祐豊が築城しました。1580年、羽柴秀吉の攻撃を受け、城は落城しました。
出石城跡にある感応殿は出石藩の藩主であった仙石家初代の仙石秀久を祀っています。仙石秀久は豊臣秀吉の最古参の家臣で少年の頃より仕え、のちに、徳川家にも仕えて大名になりました。
東西櫓や感応殿をさらに階段で登ると有子山稲荷神社があります。創建は1604年です。石段の参道には37基の鳥居が並び、157段の石段があります。雪が積もっており、階段の昇り降りは大変でしたが、有子山稲荷神社の社殿は素晴らしく、苦労して登った甲斐がありました。有子山稲荷神社から眺める出石市内の景色はとても綺麗でした。
明治館は明治20年(1887年)に建てられた郡役所で、木造2階建てのレトロな洋館です。出石に残る唯一の明治期の洋館です。
宗鏡寺(すきょうじ)は1392年に建てられました。沢庵和尚の故郷の寺であるため、沢庵寺と呼ばれています。沢庵和尚は1573年12月1日に現在の兵庫県豊岡市出石町で生まれました。
宗鏡寺の隣にある願成寺にはNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・新島八重の最初の夫であった川崎尚之助(出石藩出身)の供養碑があります。
創業1708年の歴史ある酒蔵である出石酒造には酒蔵としては珍しい赤壁の酒蔵があります。出石酒造の代表銘柄「楽々鶴(ささづる)」は全国的にも有名な日本酒です。
豪商であった旧福富家住宅の母屋は1912年に建てられました。母屋は木造二階建ての町家建築で建築時のまま現存します。
出石川の橋のたもとにある江戸時代の船着場の灯籠は「おりゅう灯篭」と呼ばれています。鎌倉時代の悲恋物語の主人公「おりゅう」にちなんだものとされています。
永楽館は1901年に建設されました。近畿地方最古の芝居小屋であり、現地に現存する日本最古の劇場建築です。兵庫県の重要有形文化財です。
日出神社は室町時代末期の16世紀初頭に建てられました。本殿は室町時代末期の建築技法をよく伝えているとして、国の重要文化財に指定されています。
食事
2月24日の朝食は篠山城下町ホテルNIPPONIAで頂きました。丹波篠山の名産である「山の芋」や但馬牛など地場産の食材を使用した朝食はとても美味しく、大満足の朝食でした。
特に、「山の芋」は感動する美味しさでした。丹波篠山の「山の芋」は丸い形をしているヤマトイモとも呼ばれている品種で、自然薯や長芋と比べてはるかに粘りが強く風味も良いという特徴があります。丹波地方には丹波霧と呼ばれる濃い霧が立ち込めることがあります。丹波霧が出るような寒暖差の大きい気候が美味しい「山の芋」を育てます。
柏原駅のレストラン「山の駅」で駅弁「豚めし」(1,100円)を買い、八鹿駅までの車中で食べました。「豚めし」は「丹波ポーク」のロースを炒め、丹波産のコシヒカリやタマネギ、ピーマンを付け合わせにした駅弁です。前日に、丹波篠山市内で購入した鳳鳴酒造の日本酒とも良く合い、車内での食事を満喫できました。
出石に到着し、「官兵衛」で「出石そば」を食べました。1706年、信濃国上田藩より但馬国出石藩に国替えとなった仙石政明が、蕎麦職人を連れてきたことが始まりとされています。蕎麦は出石焼の小皿に盛られて出てくることが特徴で「出石皿そば」とも言われます。
豊岡市では寿司・割烹「なか井」で夕食を食べました。「なか井」は2016年にミシュランガイド ビブグルマンを獲得した店です。但馬の海・山・野の食材を主に使用し、独自の料理を提供する豊岡市の名店です。
まず、前菜盛り合わせです。菜の花やふきのとうなど春の季節野菜や鮑などすべてがとても美味しく、前菜から大満足でした。
「松葉ガニ」は日本海の冬の代表的な味覚です。ちなみに、山陰地方(兵庫県北部、京都府北部、鳥取県、島根県)で水揚げされるズワイガニを松葉ガニと呼びます。
昨今では「松葉ガニ」の漁獲量が激減し、2021年12月頃には価格も高騰しました。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大により、兵庫県では「まん延防止等重点措置」が実施されており、観光客が激減したため価格も落ち着き、私でも払える値段となりました。今回、私が食べた「活松葉ガニ」は一杯11,000円でした。
今回、私が食べた「活松葉ガニ」は兵庫県の津居山港で水揚げされたブランド蟹です。
私は「活松葉ガニ」の一番美味しい食べ方は刺身だと考えています。刺身で食べると「活松葉ガニ」の甘い味がより鮮明に感じられ、その美味しさに悶絶します。茹で松葉ガニは冷凍蟹を使っている場合も多く、せっかくの旬の季節に茹で松葉ガニを食べるのはもったいないと思います。
次に、焼き松葉ガニが出てきました。焼き松葉ガニも香ばしくて美味しいのですが、やはり刺身の美味しさには叶いません。
「なか井」ではしめ鯖とワカメのしゃぶしゃぶも頼みました。どちらもとても美味しくいただきました。ただし、「活松葉ガニ」の美味しさにずっと感動していたので、しめ鯖とワカメのしゃぶしゃぶはどうしても印象が薄くなりました。
注意点
旅行2日目に特に困ったことはありませんでした。
7、2月25日(金曜日)3日目
観光スポット
2月25日の朝に、タクシーで酒垂神社(さかたるじんじゃ)へ行きました。
酒垂神社は名前の通り、酒に関係がある神社です。祭神は杜氏の祖神、酒造司の守護神である
酒美津男命と酒美津女命です。酒垂神社の本殿は1449年に完成しました。室町時代のデザインが貴重であることから、本殿は国の重要文化財に指定されています。ただし、覆屋に保護されていることや境内の雪が深く本殿に近づけなかったことから、本殿をじっくり見ることはできませんでした。
酒垂神社から徒歩20分の場所にある「コウノトリの郷公園」へ歩いて向かっていると氷が張った田んぼに野生化したコウノトリを発見しました。警戒心が強い鳥と言われていますが、20-30メートルの距離まで近づいても飛び立たず、じっとしていました。
なお、コウノトリは国の特別天然記念物に指定されています。両翼を広げると2mにもなる大きな鳥です。
「コウノトリの郷公園」は国の特別天然記念物コウノトリを保護増殖し、野生復帰を実践する研究機関として1999年に開園しました。園内の公開エリアでは飼育コウノトリを観察できます。
コウノトリの郷公園で飼育し、野外に放ったコウノトリは2019年までに53羽となり、現在では兵庫県だけでなく、全国47都道府県へ飛来しています。
「コウノトリの郷公園」の入り口の郵便ポストはコウノトリが郵便ポストを挟み込むような形になっていました。
豊岡市は1925年(関東大震災の2年後)に、震度6の北但馬地震(北但大震災)に襲われ、死者428名、全壊1,733棟、半壊2,106棟の大被害となりました。その後、復興のため「復興建築」として多くの建屋を建築し、それらの建物が今でも残っています。
1927年に建てられた「豊岡市役所旧本庁舎(旧豊岡町役場)」は白い壁が綺麗な建物です。
「オーベルジュ豊岡1925」は1934年に「兵庫縣農工銀行豊岡支店」として建てられました。国の有形文化財です。「オーベルジュ豊岡1925」は北但大震災が起きた1925年が名前の由来です。
3軒連なる復興建築がサンストークアベニューにあります。震災復興建築を代表する建物のひとつです。
昼食後、豊岡駅から鳥取駅へ向かいました。鳥取駅に到着後、ホテルにチェックインし、鳥取城跡・仁風閣へバスで向かいました。
鳥取城跡は戦国時代の山城を起源にした城跡です。日本城郭協会により日本百名城に選定されています。鳥取城は羽柴秀吉(豊臣秀吉)の兵糧攻めにより、多くの餓死者が出た悲劇の城でもあります。この兵糧攻めの際、城主であった吉川経家(きっかわ つねいえ)は切腹と引き換えに開城しました。鳥取城のすぐ近くには吉川経家の銅像があります。
「史跡鳥取城跡太閤ヶ平(たいこうがなる)」は国指定史跡となっています。
「仁風閣」は城跡に建っている洋風建築で、国の重要文化財です。「仁風閣」は鳥取藩主池田家の別邸として1907年に建てられました。「仁風閣」は建築家片山東熊(かたやま とうくま)の設計です。片山東熊は現在の国宝である迎賓館赤坂離宮などを設計しました。「仁風閣」は白亜の木造瓦葺2階建てです。「螺旋階段」は支柱がありません。素晴らしい曲線美です。
「仁風閣」の中には因幡国(現在の鳥取県東部)に古くから伝わる獅子舞に使われる麒麟獅子頭が展示されていました。1650年、初代鳥取藩主池田光仲が鳥取東照宮(樗谿神社、おうちだにじんじゃ)を建立した際、権現祭の神幸行列で行なわれたのが始まりと言われています。国の重要無形民俗文化財に指定されているとともに、「麒麟のまち」として日本遺産に認定されています。
箕浦家武家門は鳥取藩の上級武士であった箕浦家の長屋門です。現在鳥取内に残る唯一の武家長屋門の遺構として貴重な事から鳥取市指定保護文化財に指定されています。
鳥取東照宮(樗谿神社、おうちだにじんじゃ)は1650年、初代鳥取藩主・池田光仲が日光東照宮の分霊として建立したものです。池田光仲は播磨姫路藩初代藩主・池田輝政の孫であり、徳川家康の曾孫です。鳥取東照宮の本殿・拝殿・幣殿・唐門の4棟の建造物は国の重要文化財です。
福田家は旧津ノ井村の大庄屋を20代も務めた旧家です。福田家住宅の建築時期は室町時代末期~江戸時代初期と推定され、鳥取県内最古の住宅建築です。国の重要文化財に指定されています。
食事
豊岡市内散策を終えた後、大石屋食堂で朝食兼昼食を食べました。大石屋食堂は昭和初期から豊岡駅前で営業している大衆食堂です。朝8時から夜9時までの営業なので、豊岡駅に到着、若しくは豊岡駅から出発する人にはとても有難い大衆食堂だと思います。
大石屋食堂で「おでん」と「かに丼」を注文しました。「おでん」は業務用おでん鍋で煮込み続けているので、すぐ出てきました。具に味がしみ込んでいて美味しい「おでん」でした。
「かに丼」は注文してから出てくるまで20分くらいは待ったでしょうか。かなり時間がかかった印象です。ただし、「かに丼」の味は良かったです。茹でたカニの足の身と玉子が絶妙でした。
鳥取市内観光を終え、「味暦(あじごよみ)あんべ」で夕食を食べました。「味暦あんべ」は私がこれまで行った日本全国の店の中でも最高レベルの美味しさの店でした。
「味暦あんべ」では最初に各種刺身を注文しました。注文した刺身は、ノドグロの刺身、ハタハタの刺身、墨烏賊の刺身です。
ノドグロの刺身は写真でも分かるように、脂がのった最高に美味しい刺身でした。
ハタハタの刺身は人生で初めて食べました。ハタハタもとても脂がのっており、悶絶するくらいの美味しさでした。
墨烏賊の刺身も墨烏賊独特の甘さがあるとても美味しい刺身でした。また、墨烏賊のゲソは韓国風辛みソースで食べました。これも最高の美味しさでした。
「活松葉ガニ」は刺身と焼きで食べました。「活松葉ガニ」の刺身は昨日に続き、非常に甘く美味しかったです。やはり、私は「活松葉ガニ」は刺身で食べるのが一番美味しいと思います。
焼き蟹は自分で焼いて食べる形式です。甲羅に入った蟹味噌を焼いて食べるのは最高の贅沢でした。その熱い蟹味噌に蟹の刺身をつけながら食べる方法を店主に教えてもらい、実際に試してみたら、これも最高の美味しさでした。贅沢過ぎる食べ方でした。
「活松葉ガニ」を満喫した後、もさえびの刺身、鰆と白ネギの南蛮漬け、ノドグロの肝煮を注文しました。
私はノドグロの肝煮を初めて食べました。店主に聞くとノドグロを大量に仕入れていないと十分な量の肝が集まらず、肝煮はできないようです。ノドグロの肝煮は肝煮特有のねっとりとした食感にノドグロの上品な脂が加わり、日本酒に良く合う感激する美味しさでした。
「味暦あんべ」で最高の夕食を頂いた後に、御縁でホルモンソバを食べました。ホルモンソバは鳥取市など鳥取県東部で地元民に愛されている牛ホルモン入りの焼きそばです。
注意点
冒頭に書きましたが、城崎温泉駅から鳥取駅までの「JR山陰本線」はワンマン列車でした。乗降方法が分かりにくいので注意が必要です。
豊岡駅から「コウノトリの郷公園」まではバスの運行はありますが、かなり本数が少ないです。タクシーの移動でも片道2,000円未満で行けますのでタクシー利用が便利です。
鳥取市内観光は各観光スポットの間隔があります。私は市内観光は福田家住宅以外は徒歩で回りましたが、観光スポット間は20分以上かかります。一方、バス路線が観光スポット間の移動に適していません。歩くことが大変な方はタクシーを呼んでもらうしかないかもしれません。
8、2月26日(土曜日)4日目
観光スポット
鳥取砂丘は鳥取県を代表する観光地で私も何度か訪問したことがあります。ただし、今回のような冬の訪問は初めてでした。鳥取砂丘は南北2.4km、東西16kmの広大な砂丘です。観光可能な砂丘としては日本最大です。国の天然記念物に選定されています。
馬の背と呼ばれる砂丘に近いオアシスもあります。
海側の砂丘は雪が全く積もっていませんでした。
鳥取砂丘には観光客向けのラクダもいます。1960年に鳥取砂丘に初めてラクダを連れてきたようです。
鳥取駅はJR西日本だけでなく、第3セクターの若桜鉄道の発着駅でもあります。若桜鉄道の車両は緑色の「若桜号」、赤色の「八頭号」など一両編成ながら、観光列車の外観と車内デザインになっています。他に、青色の「昭和号」、オートバイ「隼」のラッピング列車があります。
鳥取駅には「名探偵コナン列車」も停まっていました。鳥取県は2012年に「まんが王国とっとり」を建国しました。鳥取県は「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる(鳥取県境港市育ち)、「遥かな町へ」「父の暦」の谷口ジロー(鳥取県鳥取市生まれ)、「名探偵コナン」の青山剛昌(鳥取県東伯郡大栄町、現北栄町生まれ)など多数の漫画家を輩出しています。こうした多くの漫画家を輩出した鳥取県が観光や産業の振興、人材育成を目的に兼行したのが、「まんが王国とっとり」です。
倉吉駅には「ひなビタ♪」の大きなパネルがあります。「ひなビタ♪」の舞台である倉野川市と倉吉市が歴史的背景や景観など共通点が多いことから、2016年4月に姉妹都市提携を結びました。また、倉吉市が全国で一番最初に一般社団法人アニメツーリズム協会(Anime Tourism Association)主催の「日本のアニメ聖地88」認定プレートを獲得しました。
倉吉白壁土蔵群を中心とし「倉吉市打吹玉川伝統的建造物群保存地区」が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。建築年代は、江戸時代末期が数棟、明治時代中後期が約3割、大正期が約2割、昭和前期が約2割という構成になっています。
2階建ての変わった構造である「倉吉大店会(元第三国立銀行倉吉支店)」は国の登録有形文化財です。1908年に建てられました。
以下の写真の場所は「男はつらいよ 寅次郎の告白」で寅さんとマドンナ役の後藤久美子が出会うシーンに使われました。
倉吉は倉吉白壁土蔵群以外にも昭和レトロな建物が多く、散策していて楽しい街でした。店舗の看板などにより、懐かしい昭和の雰囲気に浸れる街だと思います。
銭湯の大社湯(たいしゃゆ)は国の登録有形文化財です。1907年頃に開業した鳥取県内に現存する最古の銭湯です。
他にも多くのどこか懐かしい雰囲気の建物が倉吉に多くありました。
下の写真の建物は日本産業貯蓄銀行倉吉支店として1931年に建てられました。町家や土蔵が建ち並ぶ街並みの中では珍しい洋風建築です。
豊田家住宅は1900年建築の木造2階建で、倉吉の伝統的な町屋形式です。国の登録有形文化財です。豊田家住宅の中や坪庭も見事です。母屋から離れの二階に行くと1771年に建てられた赤瓦の土蔵があります。
倉吉淀屋は1760年に建てられた倉吉市に現存する最古の町家建物です。「淀屋」の屋号をもつ牧田家は倉吉を代表する商家でした。
倉吉淀屋の内部はとても見応えがあります。大豪商の一端を垣間見えるような気分となりました。
倉吉市唯一の国の重要文化財である長谷寺に行きました。奈良時代の721年に法道を開山として創建されました。
室町時代に再築された本堂は急斜面に対応した懸造(かけづくり)の建築です。懸造は崖などの高低差が大きい土地に、長い柱や貫で床下を固定してその上に建物を建てる建築様式で京都清水寺が有名です。
米子駅には境線が発着する0番のりばがあります。境港市が漫画家水木しげるが育った場所であることに因み、JR西日本は「鬼太郎列車」を運行しています。今回、停車していたのは「砂かけばばあ」列車でした。
「砂かけばばあ」列車ではありますが、列車の側面には鬼太郎や猫娘、目玉のおやじなど「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくるキャラクターが多く描かれています。
米子駅を出ると「だんだん広場」があり、山陰鉄道発祥地の碑や銀河鉄道999に酷似しているモニュメントがあります。「だんだん」は米子の方言で「ありがとう」の意味です。
食事
「鬼太郎ビール」は人気クラフトビール「大山(だいせん)Gビール」の鬼太郎ラベルバージョンです。「大山Gビール」は大山ブルワリーが製造するビールです。鬼太郎ラベルが貼られていますが、中身は「大山Gビール」なので、とても美味しいビールでした。
「二十世紀梨チューハイ」は鳥取産二十世紀梨果汁を11%も使用した梨のチューハイです。鳥取市の林兼太郎商店が生産しています。「二十世紀梨チューハイ」を飲んでみるとかなり二十世紀梨の味がします。
鳥取駅から倉吉駅へ向かう列車の中で鳥取駅の名物駅弁「かに寿司」と鳥取の地酒「旅酒39番 鳥取砂丘」を頂きました。
アベ鳥取堂の駅弁「かに寿司」は販売開始が70年前の1952年というロングセラーの駅弁です。日本で一番最初に販売された「かに寿司」でもあります。
「旅酒39番 鳥取砂丘」は鳥取の地酒「強力」などを作っている「中川酒造」が製造担当している日本酒です。「旅酒」とは「旅をしなければ飲めない酒がある」をキャッチフレーズに、現地でしか買えないというコンセプトのもと作られたお酒のシリーズです。「旅酒39番 鳥取砂丘」は純米大吟醸なのですが、全く甘くなく、「かに寿司」にもよく合う日本酒でした。
倉吉駅に到着し、観光物産館「くらよし駅ヨコプラザ」で倉吉市で生産されているクラフトビール「BREW LAB KURAYOSHI」のIPAを飲みました。
倉吉市内散策中に「BREW LAB KURAYOSHI」の店舗を見つけ、ペールエールを飲みました。店の方に伺うと、「BREW LAB KURAYOSHI」は2019年5月にできたばかりの会社で、醸造所は2020年8月のオープンとのことでした。
「BREW LAB KURAYOSHI」でおいしいビールを飲んだ後に、倉吉市の酒蔵「元帥酒造」に立ち寄りました。「元帥酒造」では「BREW LAB KURAYOSHI」が「元帥酒造」の酒粕を使って作った「酒粕ブリュー」が売っていたので、購入して飲みました。
倉吉駅から米子駅へ向かう列車の中では倉吉市で生産されるピュアモルトウィスキー「倉吉」を「ゲゲゲの目玉おやじ水」で割って飲みました。倉吉市はビール、日本酒、ウィスキーと私が飲んだ3種類の酒に加え、「倉吉ワイナリー」まであります。
米子駅に到着後、ホテルのすぐ近くにあった「和食居酒屋 旬門」で夕食を頂きました。注文したのは名物刺身桶盛り(シロイカ、さごし、ハマチ)、らっきょう、馬頭鯛の肝時雨煮、旬魚のなめろう、白葱一本焼き、蟹味噌、浜田の赤天です。「和食居酒屋 旬門」で食べて食事は全て美味しく満足しました。
名物刺身桶盛り(シロイカ、さごし、ハマチ)にあったシロイカはケンサキイカのことです。漁期は6月~11月で鳥取県を代表する夏の味覚ですが、2月に食べたシロイカも甘みがあって十分に美味しかったです。
馬頭鯛の肝時雨煮は初めて食べました。とても美味しい肝時雨煮でした。旬魚のなめろうも美味しかったです。
白葱一本焼きは自分でハサミで切って焼き味噌につけて食べる形式でした。白葱は米子と境港の間にある弓浜半島の砂畑を中心に栽培されています。「伯州美人」(出荷時期:12月~2月)というブランド化された白葱もあります。
私は蟹味噌が子供のころから大好物です。「和食居酒屋 旬門」の蟹味噌はとても量が多く大満足でした。東京の居酒屋で頼む蟹味噌の量の3倍ほどあったと思います。地酒と合う美味しい蟹味噌でした。
牛骨ラーメンとは牛骨をベースにスープを取るラーメンです。鳥取県は大山での牧畜業、とくに牛の生産が盛んな地域です。余った牛骨をスープにして、ラーメンを作ったことが牛骨ラーメンの始まりです。
注意点
旅行4日目に宿泊した「ホテル・アルファ-ワン米子」は部屋の照明や電源をつけるためには鍵を差し込まなくてはいけないタイプでした。外出時にスマートフォンなど電子機器の充電ができずに困りました。「ホテル・アルファ-ワン米子」のようなホテルでは充電に困るので、モバイルバッテリーを持って行く必要があります。
9、2月27日(日曜日)5日目
観光スポット
2月27日の朝、米子市内を散策しました。まず、米子城跡に行きました。
米子城はかつて五重の天守閣と四重櫓を持ち、「山陰随一の名城」と呼ばれました。1591年頃、吉川広家が標高約90mの湊山に築城したのが米子城の始まりといわれています。本丸、二の丸などが国史跡に指定されています。
米子城跡から徒歩5分程度の場所にある賀茂神社天満宮に行きました。賀茂神社天満宮は米子の地名発祥の神社です。
後藤家住宅は国の重要文化財です。建物内部は一般公開はしていません。
後藤家住宅がある旧加茂川沿いに白壁の土蔵が立ち並んでいます。山陰随一の商都として栄えた米子において、米などの水運を行っていた名残です。旧加茂川は江戸時代に河童が住んでいたという伝説があることから、水木しげるの漫画「カッパの三平」の像もあります。
旧加茂川から徒歩5分程度の場所に旧米子市庁舎があります。1930年に建てられました。米子市の有形文化財です。
八雲本陣(木幡家住宅)は宿場町として栄えた宍道町にあり、1733年に再建された建物です。
八雲本陣は敷地約1,200坪に部屋数40を超える広大な建造物と庭園からなっています。松江藩主、大正天皇、昭和天皇など多くの貴賓が訪問しました。
八雲本陣は国の重要文化財です。八雲本陣の内部はとても見応えがありました。各部屋には木幡家伝来の掛軸、屏風や茶道具など素晴らしい美術工芸品が展示されています。
神魂神社の本殿は日本最古の大社造で国宝です。創建は平安時代(794年~1185年)中期以降とされ、現在の社殿は天正11年(1583年)の再建と考えられています。
神魂神社の末社である貴布祢稲荷両神社本殿は国の重要文化財です。
境内はとても神秘的な雰囲気で凛と張り詰めた空気が漂っていました。何か大きなパワーを感じました。パワースポットとしても人気の神社です。
松江城は全国に12城しか残っていない現存天守の1つです。現存12天守のうち、国宝であるのは松江城、姫路城、彦根城、松本城、犬山城の5つしかありません。
興雲閣は1903年に建てられました。当初、明治天皇が宿泊するために建てられましたが、実現しませんでした。しかし、1907年の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓の際に宿泊所となりました。興雲閣は島根県の有形文化財です。
城山(じょうざん)稲荷神社は松江城の敷地内にあります。10年に一度行われるホーランエンヤは城山稲荷神社の式年神幸祭(しんこうさい)です。次回のホーランエンヤは2029年の予定です。
城山稲荷神社には数百体の石狐がいます。私は2回目の訪問となりましたが、個人的には今回もとても神秘的な神社に感じました。
カラコロ工房は1938年に建てられた鉄筋コンクリート造の日本銀行旧松江支店を2000年にリニューアルしオープンした工芸館・商業施設で、国の有形文化財です。
由志園は中海の大根(だいこん)島にある池泉回遊式庭園の日本庭園です。1975年に開園しました。ミネラルなど栄養分を豊富に含む土壌が牡丹栽培に最適で、約300年前から始まった牡丹栽培は今では日本の生産量全体の8割以上を占め、海外へも輸出されています。
本来、牡丹の見頃は4月下旬から5月中旬ですが、温度、湿度の調整により一年中満開の牡丹を鑑賞できる牡丹の館があります。また、屋外でも春と冬に咲く品種の「寒牡丹」を見ることができます。
私は夕刻に由志園に行ったので、ライトアップした庭園も見ることができました。ライトアップした庭園はとても美しく多くの人で賑わっていました。
華道家の假屋崎省吾との牡丹Collaborationも行われていました。花札の図柄をテーマにした作品で素晴らしかったです。
米子鬼太郎空港は空港名にある通り、鬼太郎オブジェが多くあります。鬼太郎オブジェは見ているだけでも楽しかったです。
食事
駅弁の「吾左衛門弁当」、「とうふちくわ」、「あご野焼」を買って、米子駅から宍道駅までの列車の中で食べました。「吾左衛門弁当」(1,400円)は山陰名物の吾左衛門鮓、大山(だいせん)おこわ、かにちらしが入っている贅沢な弁当です。吾左衛門鮓は鯖、穴子、蟹などの押し寿司です。吾左衛門鮓は東京駅、東京の歌舞伎座や日本橋三越本店でも売られている有名な押し寿司です。
松江駅近くの一畑百貨店の「奥出雲そば処一福(いっぷく)」で「出雲そば」を食べました。「出雲そば」は日本三大蕎麦の一つ(他の二つはわんこそば、戸隠そば)です。
鷦鷯屋(ささきや)で松江のクラフトビール「ビアへるん」を飲みました。鷦鷯屋は松江駅の駅ビルのお土産屋なのですが、地酒やクラフトビールの立ち飲みできます。
注意点
由志園の問題点は米子鬼太郎空港までの公共交通機関がないことです。一方、松江駅行きの最終バスは八束町・由志園入口18:50発があるため、冬であればライトアップを堪能した後に、なんとか松江駅に行くことができます。
(注:文中に掲載している交通機関の出発・到着時間や運賃、入場料、食事の料金などはBLOG執筆時のものです。今後変更する可能性がありますので、旅行に行く際にご自身でご確認ください。)