4月の日本旅程3日目(愛媛県)
(4月20日 水曜日)
目次
1、宇和島市立歴史資料館・樺崎砲台跡
4月20日(水)の午前中に宇和島市観光情報センター「シロシタ」でレンタサイクルをして、宇和島市内を回りました。宇和島市内観光は徒歩で回るには距離が長すぎ、バスで回るには本数が少ないということで、レンタサイクルが最適だと思います。宇和島市観光情報センター「シロシタ」は2021年8月に宇和島城の登城口にオープンしたばかりの新しい施設です。レンタサイクル料金はGIANTのE-バイクが1日2,000円です。
宇和島市立歴史資料館は1884年に宇和島警察署として建てられた建物を移築して使用しています。薄いピンク色の建物は元警察署とは思えない柔らかい雰囲気を醸し出しています。建築様式は擬洋風建築です。国登録有形文化財です。宇和島市観光情報センター「シロシタ」から宇和島市立歴史資料館まで歩くと15分強かかりますが、自転車では5分弱で行けました。
宇和島市立歴史資料館の横には樺崎砲台跡があります。樺崎砲台跡は1855年に築造された砲台の跡です。宇和島藩に外国船(黒船)に対する沿岸防備のために建設された砲台の一つです。とても綺麗に残っている砲台跡です。
2、和霊神社・多賀神社
宇和島市立歴史資料館・樺崎砲台跡近くの和霊神社へ行きました。徒歩15分強かかる場所にありますが、自転車では5分弱で到着しました。
和霊神社は山家公頼(やんべきんより)を主祭神とする神社です。山家公頼は仙台藩の伊達政宗に仕え、政宗の息子の伊達秀宗が宇和島藩に封じられた際に藩惣奉行(筆頭重臣・1000石)として付けられた伊達家の重臣です。山家公頼は領民の年貢を軽くしようとしたことなどから領民に慕われていました。しかし、宇和島藩内での主導権争いなどから政敵に恨まれ、1620年に殺されました。その後、山家公頼を討ち取った家臣だちが変死したり、宇和島藩を大地震や台風・飢餓などが相次いで起こったため、山家公頼の祟りと恐れられ、1653年に和霊神社が創建されることになりました。
毎年7月に行われる「和霊大祭・うわじま牛鬼まつり」は四国の有名な祭りの一つです。祭礼の主役「牛鬼」(うしおに)です。牛鬼は5m強の牛をかたどった竹組みの胴体に丸木で作られた長い首と鬼面の頭、剣をかたどった尻尾がついています。和霊神社の社殿にも牛鬼のお面が飾られています。
和霊神社の社殿はとても素晴らしく、美しいと感じました。現在の社殿は1951年の建立です。
和霊神社の二の鳥居は石造りとしては日本一の大きさ(高さ12m強)です。二の鳥居と和霊神社の神門の間を流れる須賀川には太鼓橋(神幸橋)がかかっています。人間しか通れない太鼓橋は非常にいい雰囲気の橋です。
和霊神社の境内には愛媛県松山市出身の墨絵アーティスト茂本ヒデキチ氏による絵馬が設置されています。
和霊神社の次に、徒歩10分弱の距離にある多賀神社に行きました。自転車では2-3分で到着しました。多賀神社は別名凸凹神堂(でこぼこしんどう)と呼ばれ、性的風俗のコレクションで有名です。多賀神社境内にある性文化財資料館は入場料が800円もするので入場しませんでした。この性文化財資料館は「世界一の性資料館」とされており、世界各国の性に関する貴重な資料が数万点展示されています。未成年者、不真面目な者は入場禁止とされています。多賀神社の鳥居はとても変わった形でした。
3、天赦園・南豫護国神社・木屋旅館
多賀神社の後に、天赦園(てんしゃえん)へ行きました。徒歩では20分強かかりますが、自転車では5分程度で到着しました。
天赦園は7代藩主の伊達宗紀(むねただ)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園です。1866年に築庭が竣工し、「天赦園」と命名されました。国の名勝です。なお、伊達宗紀は江戸時代としてはかなり長寿となる98歳まで生きました。隠居の場所「天赦園」を長年満喫されたことと思います。
園内には多くの藤棚があります。ちょうど藤の開花時期(4月中旬から5月上旬)であり、散策が楽しかったです。アヤメも綺麗に咲いていました。6月の上旬になると、花菖蒲が満開になります。
入場料:大人500円、高校生・高齢者(65歳以上)300円、中学生200円、小学生100円
南豫護国神社は天赦園から徒歩約10分の場所にあります。自転車では2分程度でした。南豫護国神社は1914年に宇和島藩の初代藩主・伊達秀宗と5代藩主・村候、7代藩主・宗紀、8代藩主・宗城を御祭神として創建されました。宇和島城の「上り立ち門」の横にあります。
木屋旅館は南豫護国神社から徒歩10分程度の場所にあります。自転車では2分程度でした。木屋旅館は1911年に商人宿として開業した木造2階建ての旅館でした。2012年に一日一組限定で新生木屋旅館として再生オープンしました。国登録有形文化財です。
以上の宇和島観光に有した時間はちょうど2時間でした。自転車だったので、かなり効率的に観光スポットを回ることができました。
4、卯之町の街並み
昼食後、「西予市宇和町卯之町伝統的建造物群保存地区」へ行きました。私が利用した交通機関は以下の通りです。
宇和島駅11:50発 予讃線特急宇和海14号 松山行 卯之町駅12:09着 運賃1,530円
「西予市宇和町卯之町伝統的建造物群保存地区」は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。卯之町は宇和島藩への宿場町として栄えた街です。明治時代(1868年から1912年)や大正時代(1912年から1926年)の古い建築が残っており、ゆっくり散歩するのが楽しい街でした。
開明学校は1882年に町民の寄付により建築された擬洋風建築の小学校校舎です。四国最古の小学校でした。町民の寄付により建築ということで、明治時代の卯之町の教育熱心さが伝わってきます。国の重要文化財です。国宝の旧開智学校(長野県松本市)と姉妹館提携をしています。
開明学校では戦前の教科書と学校経営資料など約6000点を展示しています。明治時代の教室が再現されており、タイムスリップしたような感覚になりました。開明学校は司馬遼太郎も訪問しており、「街道をゆく 南伊予・西土佐の道」にも取り上げられています。
宇和民具館では江戸時代末期から昭和初期にかけて実際に卯之町で使用されていた民具約6,000点を収蔵展示しています。展示数の多さや展示の仕方の巧みさなど見学してとても楽しい民具館でした。私は宇和民具館は日本でも有数の民具館だと思います。是非、皆さんに訪問して欲しい民具館です。私も毎年でも訪問したいと思う民具館となりました。
入館料(開明学校と宇和民具館共通):高校生以上 500円、小・中学生 300円
末光家住宅は1770年に建てられた町家です。末光家は1919年に「卯之町醤油株式会社」を設立し、1937年まで醤油製造・販売を営んでいました。西予市指定文化財です。
松屋旅館は新渡戸稲造や前島密など多くの文人・政治家が宿泊した歴史ある老舗旅館です。現在休業中で、第1ビジネスホテル松屋として営業しています。
宇和米博物館は1928年建築の木造校舎旧宇和町小学校を移築して「米どころ宇和」を紹介しています。109mと日本一長い木造建築の廊下があります。長い廊下でぞうきんがけをすることができます。今回、時間がなく、ぞうきんがけができませんでした。必ず再訪したいと思います。
一日2,000円で使用できるコワーキングスペースもあります。こういう場所で仕事をするとはかどりそうですね。
卯之町の街並みはとてもいい印象でした。わずか1時間の滞在のスケジュールを組んだことに後悔しました。また、絶対に行きたい街となりました。
5、大洲の街並み
卯之町駅から伊予大洲駅へ移動しました。私が利用した交通機関は以下の通りです。
卯之町駅13:15発 予讃線特急宇和海16号 松山行 伊予大洲駅13:38着 運賃1,850円
私が乗車した宇和海16号はちょうど「アンパンマン列車」でした。
伊予大洲駅観光案内所で電動アシスト自転車を借りて、大洲の街を散策しました。電動アシスト自転車のレンタサイクル料金は2時間で600円、1日1,000円と格安です。大洲の街も徒歩で回るには時間がかかるので、自転車で観光拠点を回るのが効率的でお勧めです。
江戸時代初期の大洲は藤堂高虎の所領でした。大洲城主として丹羽長秀の子で高虎の養子の藤堂高吉が在城していました。大洲は「伊予の小京都」と呼ばれています。映画「男はつらいよ 寅次郎と殿様」のロケ地にもなりました。
なお、海援隊の坂本龍馬が使用したことで知られる蒸気船いろは丸は大洲藩の所有であり、大洲藩より海援隊に貸与していたものです。
大洲では最初に如法寺を訪問しました。伊予大洲駅から徒歩では約40分かかりますが、自転車では10分程度でした。如法寺は大洲藩2代藩主の加藤泰興(かとう やすおき)が、1669年に盤珪永琢(ばんけい ようたく)を開山として創立した臨済宗妙心寺派の寺院です。仏殿は国の重要文化財です。
素晴らしい仏殿だけでなく、山門や鐘楼も趣があり、如法寺はとても気に入りました。山門付近の参道には狸もいました。日本の典型的な山中の古寺だと思います。徒歩で行くには大変ですが、電動アシスト自転車を借りて是非多くの方に行っていただきたいです。
如法寺の次に、徒歩20分程度の場所にある盤泉荘(旧松井家住宅)に行きました。自転車では5分強でした。盤泉荘(旧松井家住宅)はフィリピンで貿易会社を経営し、マニラなどの各地で百貨店を経営する等により大きな富を成した松井國五郎氏によって1926年に建設された別荘です。高台にせり出すように建つ木造3階の建物です。窓からは肱川や近隣の山々などの自然景観が眺望できます。
盤泉荘では無料で館内を案内してくれます。とても詳しい説明をされる方で、その淀みない説明に感動しました。
入場料:大人550円、小人220円
大洲城・臥龍山荘との共通観覧券大人1,100円、小人(中学生以下)440円があります。
臥龍山荘は盤泉荘から徒歩5分の場所にあります。臥龍山荘は明治時代の貿易商であった河内寅次郎が別荘として1907年に建てた数寄屋造りの建物です。「臥龍淵」と名付けられた肱川の淵の上に立ちます。国の重要文化財に指定され、庭園を含む一帯が国の名勝となっています。2011年にはミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの一つ星を獲得し、NHK夢の美術館「世界の名建築100選」にも選ばれています。
入場料:大人550円、小人220円
大洲城・盤泉荘との共通観覧券大人1,100円、小人(中学生以下)440円があります。
臥龍山荘から徒歩5分ほどの距離にある「おおず赤煉瓦館」へ行きました。「おおず赤煉瓦館」は1901年に大洲商業銀行の本店として建築されました。建築当時は木蝋や製糸の製造、舟運などによる流通の拠点として大洲が隆盛を極めた時代でした。
次に「おおず赤煉瓦館」から徒歩役10分の場所にある大洲城跡に行きました。大洲城天守は1888年に取り壊されてしまいました。現在の大洲城天守は2004年に復元されたものです。解体をまぬがれた4棟の櫓(台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓)は全て国の重要文化財に指定されています。
三の丸南隅櫓は天守と少し離れた場所にあります。三の丸南隅櫓のすぐ横には現在はホテルになっている国の有形文化財「旧加藤家住宅主屋」があります。
肱川のほとりに立つ大洲城は遠景が似合います。築城の名手であった藤堂高虎がうまく肱川を天然の堀として利用したことが良く分かります。
入場料:大人550円、小人220円
臥龍山荘・盤泉荘との共通観覧券大人1,100円、小人(中学生以下)440円があります。
6、内子の街並み
伊予大洲駅から内子駅へ移動しました。私が利用した交通機関は以下の通りです。
伊予大洲駅16:12発 内子線 伊予市行 内子駅16:27着 運賃260円
「内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区」は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。内子町は江戸時代後期から明治時代にかけて木蝋(もくろう)の生産によって栄えた町です。現在では木蝋を生産する店は一軒しか残っていません。
内子駅に到着したのが16:27と遅くなり、内子の観光は十分にできませんでした。内子の街並みでは木蠟資料館や内子座など営業時間が16:30までの施設が多かったです。JR内子駅にある「旅の案内所」は17時に閉まるため、レンタサイクルを諦め、タクシーで「明治の街並み」の一番端にある「八日市護国町並保存センター」(車で約5分)まで行き、内子駅まで歩いて戻りました。
なお、「旅の案内所」での電動アシスト付き自転車は3時間以内900円、1日1,200円と格安です。次回はもっと余裕を持って内子の街並みを堪能したいともいます。なお、タクシーの運転手に教えてもらったのですが、「愛ある伊予灘線」(伊予市駅 – 伊予大洲駅間の海回り区間)は伊予灘の夕陽がとてもきれいだそうです。「伊予灘ものがたり」という観光列車も走っているので、次回、内子に来る際は伊予灘の夕陽も眺めてみたいです。
十分な時間がなかったとはいえ、内子の街並みは素晴らしいものでした。約600mの通りに伝統的な造りの町家や豪商の屋敷が軒を連ねています。そのほとんどの家に現在も内子の人々が住んで暮らしています。
上芳我家住宅、本芳我家住宅と大村家住宅は国の重要文化財です。
大森和蝋燭屋は内子に唯一残る木蝋屋です。木蝋とはウルシ科のハゼノキなどの果実を蒸してから、果肉や種子に含まれる融点の高い脂肪を圧搾するなどして抽出した蝋のことです。木蝋を英語ではJapan wax、ハゼノキをJapanese wax treeといいます。店ではとても丁寧に木蝋のことを説明してくれます。私は初めて木蝋を買いました。木蝋はとても柔らかな感触があり、温かみを感じます。
伊予銀行内子支店は1907年に建てられた旧内子銀行の外観を模して建てられた建物です。
内子町児童館は旧内子尋常小学校です。「化育校」と呼ばれていました。旧校舎は1879年の完工ですが、現在の内子町児童館は1983年に「化育校」の外観を踏襲して新築されたものです。
内子町ビジターセンターは町立図書館を改装して完成した内子町の総合観光案内所です。1936年に建設された元警察署です。
内子座は1916年に大正天皇の即位を祝い創建されました。木造2階建ての瓦葺き入母屋作り、純和風様式の本格的な芝居小屋です。国の重要文化財です。営業時間は16:30までだったため内部の見学ができませんでしたが、次回、内子に来た際には内部を見たいと思います。
入場料:大人400円、小・中学生200円
内子駅では「鬼列車」が停車していました。愛媛県鬼北町(きほくちょう)では、全国の地方公共団体で唯一「鬼」の文字が入る自治体であり、「鬼のまちづくり」をコンセプトに町おこしを進めています。「鬼列車」は2021年7月に運行を開始したばかりです。1日4便の運行です。
私は今回、2日間で「鬼列車」をはじめ、「しまんトロッコ」、「鉄道ホビートレイン」の5種類中3種類の「YODOSEN FUN FUN TRAINS」を見ることができました。1日1便~4便という運行本数の少なさを考慮すると相当ラッキーだったと思います。
なお、私が内子駅から松山駅への移動に利用した交通機関は以下の通りです。
内子駅18:07発 予讃線特急宇和海24号 松山行 松山駅18:34着 運賃2,060円
宇和海24号の普通車は座れましたが、かなり混んでいました。
松山駅には岡山駅まで行く特急「しおかぜ30号」が停車していました。「しおかぜ30号」の車両の8000系は2005年のグッドデザイン賞を受賞しました。
(注:文中に掲載している交通機関の出発・到着時間や運賃、入場料、食事の料金などはBLOG執筆時のものです。今後変更する可能性がありますので、旅行に行く際にご自身でご確認ください。)