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「大江戸」神楽坂と「小江戸」川越を結ぶ旅。酒井忠勝との御縁

「大江戸」神楽坂と「小江戸」川越を結ぶ旅。酒井忠勝との御縁

Real Edo Experience: The Trip Between Kagurazaka and Kawagoe

神楽坂は第3代将軍 徳川家光のために造られたことは知っていましたか

神楽坂は1636年に道幅12メートルの第3代将軍徳川家光のための御成通りとして造られました。御成通りとは徳川将軍が通る道筋のことを言います。神楽坂が御成通りとして造られた理由は、牛込地区に若狭小浜藩主の大老 酒井忠勝の広大な屋敷があったためです。酒井忠勝の屋敷から江戸城の牛込御門までの道が御成通りの神楽坂なのです。
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大老 酒井忠勝が結びつける神楽坂と川越

この大老 酒井忠勝は若狭小浜藩主の前は川越藩2代藩主でした。川越は江戸情緒を残すことなどから、「小江戸」と呼ばれています。川越城は江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。川越城は、1457年に、太田道真(どうしん)・道灌(どうかん)親子が築いたといわれています。江戸城も同じ1457年にこの親子が築きました。従って、徳川家康が江戸に入城する1590年より前から江戸と川越はつながりがあり、その後も深い関係が続いたといえます。

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「大江戸」という言葉があります。大きく拡大していった江戸の町の広がりと繁栄を示す雅語です。この語が定着したのは18世紀の後半とされ、その範囲は朱引として定められました。現在の行政区画でいえば、次のようになります。千代田区・中央区・港区・新宿区・文京区・台東区・墨田区・江東区・品川区の一部・目黒区の一部・渋谷区・豊島区・北区の一部・板橋区の一部・練馬区の一部・荒川区です。神楽坂は江戸城の牛込御門から酒井忠勝の屋敷までの道だったので、当然、朱引の範囲内となります。
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出所:東京都公文書館
 

本当の江戸体験:「大江戸」神楽坂と「小江戸」川越を巡る旅

神楽坂はこのように、「大江戸」の一角であり、「小江戸」の川越と深いつながりがあります。旅行の際に、神楽坂と川越を同時に散策してみるのはいかがでしょう。例えば、川越散策をした後に、夕食を食べながら神楽坂芸者とお座敷遊びをするなど江戸情緒にどっぷり浸る旅はいかがでしょうか。また、逆に、神楽坂まち歩きを楽しんだ後に、川越で名物鰻料理を夕食に食べるということも可能です。神楽坂駅と本川越駅間は地下鉄メトロ東西線と西武新宿線でわずか1時間(高田馬場駅乗り換え)です。「大江戸」神楽坂と「小江戸」川越を結ぶ旅は江戸時代に思いをはせるには最高の組み合わせと言え、いつまでも思い出に残る旅となるでしょう。

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