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6月の日本旅程(大阪、京都旅行)のまとめ、注意点

6月の日本旅程(大阪、京都旅行)のまとめ、注意点

 

6月8日(水)から6月10日(金)にかけて、大阪府、京都府、愛知県を旅行しました。今回の旅行ではスズキや鮎など旬の魚介類や郷土料理を多く食べられ、世界遺産国宝国の重要文化財など素晴らしい観光地を訪問することができました。皆さんに強くお勧めしたい6月の日本旅程です。特に、大阪府、京都府、愛知県は7,8月は猛暑となり旅行に適さない時期となります。6月までの旅行をお勧めします。今回の旅行のまとめといくつかの注意点を報告します。

 

目次

1、今回の日本旅程で食べられた「郷土料理百選」と「御当地人気料理特選」

2、今回の日本旅程で食べられた旬の「PRIDE FISH」

3、今回の日本旅程の注意点(ローカル鉄道)

4、身軽な恰好での旅行

5、6月8日(水曜日)1日目

6、6月9日(木曜日)2日目

7、6月10日(金曜日)3日目

 

 

毎回繰り返しますが、今回の旅程も「旬の魚介類と郷土料理を食べ尽くす」という目的で作成したものです。食が最優先で、観光地の優先順位は2番目です。とはいえ、世界遺産国宝国の重要文化財など観光スポットをできるだけ多く回ることを目指しました。

 

1、今回の日本旅程で食べられた「郷土料理百選」と「御当地人気料理特選」

大阪府:箱寿司、お好み焼き

大阪では、「郷土料理百選」から箱寿司(鯖寿司)、「御当地人気料理特選」からお好み焼きを食べることができました。

箱寿司は四角い木の枠にすし飯を詰め、具を乗せたあと、手で押さえてご飯と具材を密着させる寿司です。押し寿司とも呼ばれます。元々は鯖など大衆魚を材料にバッテラという押し寿司が大阪で普及していました。その後、鯖だけではなく、真鯛や海老、穴子などを使った高級志向の「箱寿司」に発展しました。

従って、私が今回食べた鯖寿司は箱寿司の元祖です。酢を使わず、塩で〆た難波の「あばらや」の鯖寿司は今まで食べたことがない味でとても美味しいものでした。

さば寿司

ちなみに、「バッテラ」の語源はポルトガル語の「小舟(bateira)」です。大阪の寿司屋が当初コノシロを寿し飯に乗せた形が、小舟に似ていたため「バッテラ」と名付けられました。載せる魚がコノシロから鯖に代わっても、「バッテラ」と呼ぶようになりました。ただし、なぜ、寿司にポルトガル語を使用したかは不明です。

お好み焼きについては全ての人が知っているので、特に説明することはありません。ただ、大阪のお好み焼きは生地に山芋を多く使う店が多いので、大阪以外の一般的なお好み焼きと比較すると柔らかい食感となることが大きな差だと思います。私が食べた天王寺の「あべとん」もとても柔らかい食感の美味しいお好み焼きでした。大阪以外のお好み焼き屋も山芋を多く使い、柔らかい食感の美味しいお好み焼きを提供してくれることを願います。

あべとん

 

京都府:賀茂なすの田楽

京都では、「郷土料理百選」から賀茂なすを食べることができました。実際には賀茂なすの田楽ではなく、「賀茂茄子と牛肉の醤油焼」として食べました。食事をした京都駅ビルの「接方来(せっぽうらい)」では賀茂なすの田楽がなかったからです。賀茂茄子を牛肉と一緒に食べるのは初めての経験でしたがとても美味しい料理でした。

賀茂茄子と牛肉の醤油焼

なお、賀茂なすは「京の伝統野菜」、「京のブランド産品」の2つともに選ばれています。二つともに選ばれている野菜は13種類だけです。

京都府からは「御当地人気料理特選」に選ばれた料理はありません。しかし、「うちの郷土料理」には多くの料理が選ばれており、今回、万願寺とうがらしと鱧を食べることができました。「うちの郷土料理」では「万願寺とうがらしとじゃこの炊いたん」、「はもの焼き物」として掲載されていますが、私は万願寺とうがらしの焼浸し、鱧の湯引きとして食べました。なお、「炊いたん」とは京都弁で、炊いたものという意味です。

万願寺焼浸し

鱧おとし

 

愛知県:無し

愛知県には大学時代の友人と食事をするためだけに行ったので、「郷土料理百選」の「ひつまぶし」も「味噌煮込みうどん」も食べられませんでした。また、愛知県からは「御当地人気料理特選」の選出はありません。

ただし、今回は「うちの郷土料理」に選ばれているきしめんを食べることができました。私はいつも名古屋に行った際には必ず駅のホームの「住よし」できしめんを食べます。「住よし」のきしめんは私の大好物です。

「住よし」のきしめん

 

「郷土料理百選」、「御当地人気料理特選」、「うちの郷土料理」は農林水産省の選定です。

 

2、今回の日本旅程で食べられた旬の「PRIDE FISH」

大阪府:大阪のスズキ(旬:7月~9月)、魚庭のマダコ(旬:6月~10月)、大阪のマアナゴ(旬:4月~6月)

大阪では、「PRIDE FISH」から、3種類の魚介類を食べることができました。スズキの旬は7月~9月ですが、私が訪問した6月も十分美味しい時期でした。スズキは大阪では焼いて、京都ではカルパッチョとして食べました。焼いてもカルパッチョでもとても美味しいスズキでした。

あばらや

接方来

マダコは大阪で刺身で食べました。大阪湾はエビやカニなどのえさが豊富で潮の流れが穏やかなことから、風味よくやわらかいマダコが育ちます。今回私が食べたマダコの刺身もとても美味しいものでした。

あばらや

マアナゴは蒲焼きで食べました。少し小型の穴子でしたが、十分美味しかったです。

あばらや

 

京都府:無し

京都では、「PRIDE FISH」を食べる機会はありませんでした。

 

愛知県:無し

愛知県でも、「PRIDE FISH」を食べる機会はありませんでした。

 

「PRIDE FISH」は全国漁業協同組合連合会の選定です。

 

3、今回の日本旅程の注意点(ローカル鉄道)

毎回同じことを書いていますが、大事なことなので繰り返します。今回も旅行のルールとして、レンタサイクルを含む公共交通機関のみを利用する環境配慮型旅行としています。

こちらも再確認となりますが、公共交通機関を利用する旅行は自動車での旅行と比べるとCO2排出量は圧倒的に少なくなります。例えば、国土交通省のデータでは、1人が1km移動する際のCO2排出量は自動車の130gに対し、航空機は98g(自動車の75%)、バスは57g(同44%)、鉄道は17g(同13%)です。

今回もワンマン列車の乗降方法が分かりにくかったです。「JR山陰本線」の園部駅から日吉駅まではワンマン列車でした。通常先頭車両の一番前のドアしか開きませんが、車内が混んでいたため、「全てのドアが開きます」とのアナウンスが流れました。しかし、駅に到着してもドアは開きません。不思議に思っていると先頭車両の一番目のドア以外のドアの開閉には開閉ボタンを押さないと開かないということが分かりました。「全てのドアが開きます」とのアナウンスでは全部のドアが自動的に開くと思っていたので驚きました。

やはり、ワンマン列車の乗車方法は日本人でも難しいです。ましてや、日本語でしか案内がされないことを考えると日本語を理解できない外国人には全く乗降方法は分からないと思います。乗降の仕方について車内にポスターが貼っていましたが、日本語のみでした。鉄道事業者や観光協会は責任を持って外国語での案内をすべきです。

再度、ワンマン列車の乗降方法を記載します。

ワンマン列車では乗降の際、ボタンを押してドアを開ける必要があります。また、乗車時は整理券を取り、降車時は整理券とお金を運賃箱に入れて降ります。

ワンマン列車の場合は常に1両目に乗るようにすれば安心です。日本の地方を旅行する際には電車の乗降ルールは絶対に覚えておきましょう。ただし、1両目の前方ドアから乗るのか後方ドアから乗るのかは鉄道事業者によって異なります。

細かな注意点は旅行日にそれぞれ書きましたのでご覧ください。

 

4、身軽な恰好での旅行

こちらも毎回、繰り返しになりますが、今回の旅行でも自分の衣服や電源コードを宿泊先に事前に送り、毎日「手ぶら旅行」を楽しみました。やはり、散歩するような身軽な恰好で旅行するのはとてもラクです。鉄道や飛行機で到着後すぐに行動できるのは時間の有効活用に大切なことです。今回も旅行の最終日には、洗濯代行業者に旅行中に着た衣服を送り、洗濯もせずにすみました。皆さんにも「手ぶら旅行」の快適さを経験して欲しいです。

 

5、6月8日(水曜日)1日目

まず最初に通天閣へ行きました。

ご存じのように、通天閣は大阪のシンボルタワーです。現在の通天閣は二代目で、1956年に完成しました。避雷針を含めた高さは108mあります。国の登録有形文化財に指定されています。

通天閣

なお、通天閣周辺は新世界という昭和時代の面影を色濃く残す繁華街です。新世界の象徴的存在であったフグ料理の「づぼらや」が2020年9月で閉店し、大きなふぐのちょうちんが撤去されたのは残念です。

通天閣

 

次に、通天閣から徒歩5分強の安居神社へ行きました。安居神社は1615年の「大坂夏の陣」の際に真田信繁(真田幸村)が討死した場所です。安居神社の境内には真田幸村戦死跡之碑と真田信繁の像もあります。

安居神社

安居神社

 

次に、安居神社から徒歩5分強の勝鬘院(しょうまんいん)へ行きました。本尊が愛染明王であるため愛染堂とも呼ばれています。寺伝によれば、聖徳太子が開いた四天王寺にある敬田院、施薬院、療病院、悲田院のうちの施薬院に始まると伝えられています。創建年は593年と言われています。

1615年の大坂夏の陣によって金堂は焼失しましたが、1618年に江戸幕府第2代将軍の徳川秀忠によって金堂が再建されました。金堂は大阪府の有形文化財に指定されています。

勝鬘院金堂

多宝塔は大阪市内最古の木造建造物です。1597年に豊臣秀吉により多宝塔が再建されました。多宝塔は国の重要文化財に指定されています。とてもいい形状の多宝塔でしばらく見とれてしまいました。

多宝塔

勝鬘院のお祭りである愛染祭りは大阪三大夏祭りの一つで大阪市の無形民俗文化財です。2022年は6月30日、7月1日の二日間行われます。愛染祭りの二日間は金堂の愛染明王と多宝塔の大日大勝金剛尊の特別御開帳があります。

 

次に、勝鬘院から徒歩10分弱の四天王寺へ行きました。四天王寺は和宗の総本山の寺院で、創建年は593年です。奈良県の法隆寺と同じく聖徳太子建立の寺です。四天王寺は奈良県の飛鳥寺とともに日本における本格的な仏教寺院としては最古のものといわれています。なお、法隆寺の創建は607年です。

四天王寺の伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれています。南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂が一列に並んでいます。その建物群を回廊が囲む形式で、最も古い建築様式であるとされています。

四天王寺五重塔

四天王寺鳥居、元三大師堂、石舞台、六時礼讃堂などは国の重要文化財です。石舞台は「日本三舞台」の一つに数えられます。「日本三舞台」の他の舞台は住吉大社、厳島神社です。四天王寺の石舞台は「日本三舞台」の中で最も立派だと思います。

四天王寺

四天王寺

四天王寺

中門(仁王門)の中にある仁王像は松久朋琳・宗琳作です。仁王像は奈良県の東大寺南大門仁王像に次ぐ大きさです。

仁王門

仁王門

仁王門

 

昼食後、住吉大社に行きました。

私は大阪にも路面電車があることを知りませんでした。阪堺電軌上町線は元々、四天王寺と住吉大社への参詣客輸送を目的として1900年に馬車鉄道として開業されました。四天王寺から住吉大社までのアクセスが便利だなあ、と感じたのは当然です。

阪堺電気軌道

住吉大社は全国にある住吉神社の総本社です。住吉大社によると創建は211年とされています。住吉大社本殿4棟(第一本宮、第二本宮、第三本宮、第四本宮)は国宝です。1810年の造営となります。本殿は「住吉造(すみよしづくり)」と称される独特の様式で、神社本殿としては飛鳥時代まで遡る最古様式に位置づけられています。

住吉大社

住吉大社

住吉大社

住吉大社

住吉大社

住吉大社

南門と両側の楽所(がくしょ、東楽所・西楽所)は国の重要文化財です。1607年に豊臣秀頼の再興により造営されました。

住吉大社

住吉大社

住吉大社

南門・東西楽所のすぐ近くに豊臣秀頼の再興による造営された石舞台があります。四天王寺の石舞台同様に「日本三舞台」の一つです。ただ、規模感は四天王寺の石舞台の半分程度の大きさです。住吉大社の石舞台も国の重要文化財です。

住吉大社

反橋(そりはし)は太鼓橋とも称され、住吉大社を象徴する橋です。高さは4.4メートルにもなり、橋を渡るのは簡単ではありません。

反橋

反橋

幸壽門の門前には角鳥居(かくとりい)があります。角鳥居の名は柱が四角柱であることに由来し、その独特な形式により「住吉鳥居」と称されています。

住吉鳥居

住吉大社には平日にもかかわらず、とても多くの人々が参拝していました。住吉大社が多くの信心深い人々に支えられていることがよく分かりました。

 

住吉大社の次に観心寺に向かいました。

河内長野市観光案内所で自転車を借り、観心寺へ自転車で向かいました。

観心寺は701年に役小角(役行者)が開創しましたと伝わります。その後、808年に空海が北斗七星を勧請したといわれています。

観心寺の金堂は正平年間(1346年 – 1370年)の建立された国宝です。和様、禅宗様、大仏様の折衷様式の代表的な寺院です。観心寺を厚く信任されていた後醍醐天皇が建武新政後(1334年頃)に楠木正成を奉行として金堂造営の勅を出されて、 現在の金堂ができました。

観心寺

観心寺

建掛塔は三重塔を建てかけて中断した一重目部分です。楠木正成が三重塔を建立しようと建築に着工した後、湊川の戦いで討死してしまいました。そのため、一重目を造り終えたところで工事が中止され、仏堂に改築された建物が建掛塔です。国の重要文化財に登録されています。

建掛塔

観心寺は楠木正成など楠木氏の菩提寺です。討死した楠木正成の首は観心寺に届けられ、首塚に祀られています。偶然にも私が幼少期にワクワクしながら歴史の本を読んで好きだった武将の楠木正成と真田幸村のゆかりの地を同じ日に訪れることができ、感慨深いものがありました。

観心寺

 

観心寺の次に、烏帽子形八幡神社へ行きました。

烏帽子形山には楠木正成の楠木七城(河内七城)のひとつとされる烏帽子形城がありました。楠小二郎が烏帽子形城に入り、城の鎮護として神社を創祀したのが烏帽子形八幡神社の始まりと伝えられています。本殿は国の重要文化財に指定されています。

烏帽子形八幡神社

6月8日の最後の観光として河内長野駅近くにある長野神社へ行きました。烏帽子形八幡神社からは自転車で約5分ほどの距離です。

長野神社

長野神社の本殿は1543年頃に建てられたといわれています。本殿は国の重要文化財に指定されています。祭神は素盞嗚命(牛頭天王)です。

長野神社

 

食事

四天王寺を観光し、徒歩5分強の場所にある「あべとん」でお好み焼きを食べました。「あべとん」は「あべちか」という地下街にあります。「あべちか」の四天王寺側にあるので、四天王寺観光のあとに行くお好み焼き屋として、とてもいい立地です。私は11時20分前後に入店し、すんなり席を確保できましたが、11時半には既に満席となりました。

私は「あべとん」で「牛すじポン酢」(500円)と「あべとんミックス」(1,700円)を注文しました。「牛すじポン酢」はとても柔らかい牛筋を使用しているため食べやすく、とてもさっぱりして美味しかったです。お好み焼きの前に食べるにはちょうどいいメニューだと思います。

あべとん

「あべとんミックス」は海鮮や肉類など具沢山のお好み焼きです。具沢山で食べ応えがあり、とても美味しいお好み焼きでした。特に、お好み焼きの生地に山芋を多く使用しており、そのねばりと柔らかさがいい食感を生み出していました。大阪以外のお好み焼き屋で多くの店が提供している硬い生地とは全く違いました。また、お好み焼きの上に塗ったマヨネーズ、からし、ケチャップの上にハケでソースを塗るため、調味料の味が絶妙に一体化して味に深みを加えていました。私にとって、このスタイルは初めてのものであり、感動しました。

あべとん

「あべとん」は1970年開業の老舗です。食べログの百名店にも選ばれています。「あべとん」はモダン焼、ねぎ焼の元祖の店です。次回、「あべとん」に伺ったときにはモダン焼、ねぎ焼を食べたいと思います。

夕食は難波の「あばらや」で食べました。難波駅から徒歩5分の便利な場所にあります。なんばグランド花月までは徒歩2分ほどの距離です。「あばらや」は便利な場所にありますが、細い路地にあるので、少し見つけにくいかもしれません。

あばらや

「あばらや」は1955年(昭和30年)創業の老舗寿司店です。創業当時は「あばら家」のような店だったので、そのまま「あばらや」という屋号にしたそうです。大阪らしい気取らなさに好感を持てます。

まず「あばらや」で感動したのはサービスセットです。サービスセットは生ビールと付出し、造り盛り合わせ、揚げ出し豆腐のセットでなんと1,000円です。こんな価格でサービスセットを出すと赤字になるのではないかと心配になります。なお、関西ではお通しのことを付出し、刺身のことを造りといいます。

造り盛り合わせには鯛、カンパチ、タコが入っていました。なお、全国漁業協同組合連合会は「魚庭のマダコ」(旬:6-10月)を夏の「PRIDE FISH」に選出しています。「魚庭」とは「なにわ」と読みます。魚の庭、すなわち豊かな海という呼び名からはじまったといわれています。私は「なにわ」は浪花もしくは浪速しか知らなかったので、「魚庭」を「なにわ」の語源ということは「PRIDE FISH」の名前で初めて学びました。

あばらや

あばらや

サービスセットの次に「スズキ塩焼き」、「穴子あて」を注文しました。「スズキ塩焼き」は「あばらや」の「本日のお勧め品」でした。スズキの旬は4月から8月なので、脂が乗った旬の美味しい時期に食べることができました。

あばらや

「穴子あて」は肉厚ではなかったのが残念でした。美食家の北大路魯山人は「アナゴがうまいのは堺近海だ」と書き記しているようです。次回は肉厚の「大阪のマアナゴ」を食べてみたいと思います。なお、「あて」は主に関西地方で使われ、「肴」や「つまみ」という意味です。

あばらや

「あばらや」での最後の食事は名物の「さば寿司」のハーフ(1,300円)でした。「あばらや」の「さば寿司」は酢を使わずに塩だけで〆ます。塩だけで〆ることにより、鯖の旨みを凝縮させているそうです。私は酢で〆た鯖寿司も好きなのですが、塩のみで〆た鯖寿司は酢の匂いや味がしない分、より鯖の本来の味を楽しむことができたと思います。山椒の葉を使うことにより、鯖の臭みを消し、山椒のさわやかな香りを加味し、彩りも美しくするという素晴らしいアイデアに感銘を受けました。見た目も味も最高の鯖寿司でした。

さば寿司

「あばらや」では大満足の夕食を頂くことができました。多くの人にお勧めしたい店です。

 

注意点

伊丹空港からなんば駅まではリムジンバスが早くて便利です。リムジンバスは高速道路を利用するため、伊丹空港からなんば駅までわずか25分しかかかりません。ちなみに、新大阪駅からなんば駅までは地下鉄で16分ですので、伊丹空港からなんば駅までと大きな差はありません。

 

6、6月9日(木曜日)2日目

6月9日は朝8時に東寺(教王護国寺)へ行きました。東寺は「古都京都の文化財」の構成資産として世界遺産に登録されており、金堂、五重塔などは国宝建造物に指定されています。東寺の五重塔は新幹線からも見えるため、京都を訪問する人々に最も見られている寺といえるでしょう。

東寺

東寺の創建は796年です。平安京鎮護のための官寺として建立されました。その後、823年に嵯峨天皇が空海(弘法大師)に東寺を下賜し、空海は真言密教の根本道場としました。東寺は唯一の平安京の遺構です。火災が何度かあったため、東寺には創建当時の建物は残っていません。しかし、南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままです。

国宝の金堂は1603年に豊臣秀頼の寄進により再建されました。建築様式は和様と大仏様(天竺様)が併用されています。本尊の薬師如来坐像の高さは288センチメートルもあります。落ち着いた表情でとても魅力的でした。いつまでも薬師如来坐像を眺めていたいような気持になりました。薬師如来坐像は国の重要文化財です。

東寺金堂

金堂

国の重要文化財である講堂は1491年の再建です。講堂内には合計21体の仏像群からなる立体曼荼羅が構成されています。21体のうち、16体は国宝、5体は国の重要文化財です。金堂内部には薬師如来および両脇侍像の3体のみの仏像なのでとても落ち着いて鑑賞できたのですが、講堂内の21体は多過ぎて落ち着いて鑑賞することができませんでした。私は金堂内部の方が好きです。

講堂

国宝の五重塔は雷火や不審火で4回焼失しましたが、1644年に徳川家光によって再建されました。五重塔の高さは54.8メートルと木造塔としては日本一の高さとなります。黒を基調としたとても美しい五重塔です。五重塔の一番下の屋根の支えているのが邪鬼(天邪鬼)となります。四隅で支えています。

五重塔

邪鬼(天邪鬼)

東大門は1336年に新田義貞に攻められた足利尊氏がこの門を閉めて難を逃れたという故事により不開門(あかずのもん)と呼ばれています。国の重要文化財です。

東大門

東寺の実質的な入口である慶賀門も国の重要文化財です。

慶賀門

 

朝からの東寺見学で大満足した後に、自転車を借り、伏見稲荷大社に行きました。伏見稲荷大社は千本鳥居の存在などにより国内外の観光客に大人気の観光地です。私は初めて行きました。

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社は全国に約3万社ある稲荷神社の総本社です。伏見稲荷大社の創建は和銅年間(708年 – 715年)と古く、「枕草子」や「今昔物語集」などにも登場します。東寺の造営の際に鎮守社となり、真言密教と結び付いて信仰を拡大しました。今でも稲荷祭の最終日に東寺の僧侶が慶賀門の前に供物を並べ読経をあげる儀式があり、両社寺の深い関係が続いています。

伏見稲荷大社の楼門、本殿、外拝殿などは国の重要文化財です。

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社

多くの観光客であふれかえっていましたが、奇跡的に千本鳥居では観光客が全くいなタイミングに遭遇しました。そのため、人が全く映らない写真を撮ることができました。

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社

 

伏見稲荷大社の次に宝塔寺に行きました。

宝塔寺

宝塔寺は藤原基経(日本史上初の関白)が嘉祥年間(848年 – 851年)に発願した真言宗の極楽寺が前身とされています。源氏物語の舞台の一つでもあります。

本堂は1608年に再建されました。日蓮宗寺院の本堂としては京都で最古の建物です。国の重要文化財に指定されています。

宝塔寺

宝塔寺

多宝塔は室町時代の1439年以前の建立です。京都で一番古い多宝塔となります。高さが11.4メートルと少し小ぶりの多宝塔ですが、とてもすっきりとしたバランスが良い塔です。多宝塔も国の重要文化財です。

宝塔寺

室町時代(1336年~1573年)に建立された総門も国の重要文化財です。

宝塔寺

 

宝塔寺の次に、東福寺へ行きました。

東福寺の創建は1236年です。寺名は奈良県の奈良の東大寺、興福寺の二大寺の「東」と「福」の文字を取り、東福寺と名付けられました。摂政九条道家(鎌倉幕府4代将軍の藤原頼経の父)が京都最大の大伽藍を造営し、東福寺を建立しました。室町幕府の第3代将軍足利義満が定めた「京都五山(臨済宗の寺院の寺格)」に東福寺が第4位の寺格として選ばれています。なお、「京都五山」とは別格の南禅寺、第1位の天龍寺、第2位の相国寺、第3位の建仁寺、第5位の万寿寺です。

三門は1425年に室町幕府の第4代将軍足利義持によって再建された国宝です。現存する禅寺の三門としては日本で最古かつ最大の門です。高さは約22メートルにもなります。

東福寺

東福寺

本堂は1934年に再建されました。昭和時代の木造建築としては最大級の建物です。本坊庭園「八相の庭」に囲まれる方丈は1890年の再建です。

東福寺

東福寺

東司(とうす)は日本で最大最古の禅宗式の便所の遺構です。国の重要文化財に指定されています。経蔵は1794年の再建です。

東司

東司

経蔵

 

本坊庭園「八相の庭」は国の名勝です。造園家、重森三玲によって1939年に作庭されました。枯山水庭園はいつまでも眺めていられるのではないか、と思わせるような見事な庭園でした。

八相の庭

八相の庭

八相の庭

八相の庭

八相の庭

 

通天橋は本堂から開山堂を結ぶ橋廊です。秋の紅葉時期には京都でも屈指の眺望を誇ります。

通天橋

通天橋

開山堂は開山である円爾弁円(聖一国師)の尊像が安置されています。国の重要文化財に指定されています。開山堂前の庭園も見事でした。

開山堂

開山堂

通天橋と開山堂の近くにある愛染堂は1937年に「京都五山」であった万寿寺より移されました。丹塗りの杮葺き八角円堂です。禅宗特有の落ち着いた色合いの建物ばかりの東福寺の中で赤い愛染堂は目立ちます。国の重要文化財です。

愛染堂

 

禅堂は1347年に再建されました。現存する最大最古の禅堂です。700年近く前の建立とは思えないほど、綺麗な外観でした。国の重要文化財です。

禅堂

偃月橋(えんげつきょう)は1603年に再建された木造橋廊です。通天橋と異なり、無料で通行できます。国の重要文化財に指定され、日本百名橋にも選ばれています。

偃月橋

東福寺は京都屈指の大伽藍だけあり、全て見学するには2時間程度かかりました。とても見応えのある禅宗寺院でした。

 

最勝金剛院は九条家の墓を管理するために再興された東福寺の特別由緒寺院です。八角堂は九条兼実の廟所です。九条兼実は摂政・関白・太政大臣の官位を持ちました。東福寺を建立した九条道家の祖父にあたり、九条家の祖です。

最勝金剛院

芬陀院(ふんだいん)は東福寺の塔頭(たっちゅう)です。塔頭とは祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵などの小院です。芬陀院は元亨年間(1321年~1324年)に一条経通が父一条内経のため、定山祖禅(じょうざんそぜん)を開山として創建されました。摂関家(近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家)の一条家の菩提寺です。

芬陀院

芬陀院の南庭と東庭は水墨画で有名な雪舟が作庭したと伝わる枯山水庭園です。そのため、芬陀院は雪舟寺とも呼ばれています。

芬陀院

 

芬陀院の次に、雲龍院へ行きました。自転車では10分程度かかりました。雲龍院は後述する泉涌寺の別院です。南北朝時代、北朝の後光厳天皇の勅願により、竹巌聖皐を開山として1372年に創建されました。

龍華殿(本堂)は後円融天皇から写経の功徳を信奉されて以来、写経道場として信仰を集めてきました。私の訪問時も写経をされている方がおられました。龍華殿は寛永年間(1624年~1644年)の再建です。国の重要文化財に指定されています。龍華殿とともに写真に写っている灯篭は江戸幕府最後の将軍の徳川慶喜の寄進です。

龍華殿

霊明殿は1868年再建の皇族の位牌堂です。

霊明殿

蓮華の間では色紙サイズの4つの窓があり、「しきしの景色」と呼ばれる美しい庭の景色を見ることができます。

しきしの景色

書院悟之間の窓は「悟りの窓」と呼ばれており、四季により違った風景を楽しめます。

悟りの窓

大輪の間には赤穂浪士の筆頭家老(指導者)であった大石内蔵助の「龍淵」の書があります。山科に閑居していた大石内蔵助は泉涌寺塔頭の来迎院で旧赤穂浪士と討ち入りの密儀を行っていたといわれています。

龍淵

雲龍院は「しきしの景色」や「悟りの窓」以外にも魅せる工夫が随所にみられ、見学が楽しい寺院でした。写真撮影は禁止されている「走る大黒天尊像」は必見です。大黒様の印象が変わると思います。

雲龍院

雲龍院

雲龍院

雲龍院

 

泉涌寺は雲龍院のすぐそばにあります。真言宗泉涌寺派の総本山の寺院です。泉涌寺の名は敷地の一角から清水が湧き出たことが由来です。多くの天皇の葬儀を執り行うなど皇室との関連が深く「御寺(みてら)」とも呼ばれています。泉涌寺のドメインもmitera.orgです。創建は856年とされていますが諸説あります。

泉涌寺の正門となる大門は京都御所の南門を寛永年間(1624年~1645年)に移築したものです。国の重要文化財に指定されています。多くの神社仏閣は正門から本堂や仏殿に向かって坂や階段を登る形となりますが、泉涌寺は坂を下る形となっているところが珍しいと思います。

大門

仏殿は1668年に江戸幕府の第4代将軍徳川家綱の援助で再建したものです。国の重要文化財に指定されています。

仏殿

仏殿の背後に建つ舎利殿は慶長年間(1596年~1615年)に京都御所の建物を移築・改装したものです。

舎利殿

霊明殿は天智天皇と光仁天皇から昭和天皇に至る歴代天皇皇后の位牌を安置しています。現在の霊明殿は1884年に明治天皇の勅命により再建されされました。

霊明殿

泉涌水屋形は1668年の再建です。京都府の有形文化財に指定されています。泉涌寺の名前の由来となった泉を覆う屋形です。

泉涌水屋形

 

食事

京都での最初の昼食は京都駅の近鉄名店街みやこみちにある「おそば処 葵」で鱧そうめん(1,380円)を頂きました。蕎麦屋なのに、そうめんを選んだのは鱧の湯引き(鱧の落とし)がそうめんの上に載っているからです。

鱧そうめん

夏の京都といえば、鱧料理が有名です。私は鱧料理としては湯引きが断然好きです。湯引きをした白い鱧と梅肉ソースの赤が抜群のコントラストで見た目もとてもいいと思います。白と赤の料理は鱧の湯引き以外ではあまりなく、そのため、他の料理に対して、鱧の湯引きを際立たせる理由になっています。私が食べた鱧そうめんもとても綺麗な色彩の料理で、味もとても美味しかったです。暑い京都の夏にはぴったりの涼しげな見た目の料理だと思います。

私は主に瀬戸内海で獲れる鱧が京都で鱧料理として有名であるのか私は長年不思議に思っていました。そこで鱧料理が京都の名物料理になっている理由を調べてみました。

7月に行われる祇園祭は鱧祭りと呼ばれています。鱧の旬は産卵を迎えた6月から7月です。 鱧の旬がちょうど祇園祭の開催時期に重なり、鱧料理で訪問客をもてなしたので、鱧祭りと呼ばれているようです。

また、都であった京都には魚を大阪府や兵庫県から運んでくる魚の行商がいました。鱧は生命力が強いため、魚が傷みやすい(腐りやすい)夏でも京都に運べる数少ない魚であったようです。また、鱧はウナギ目に属する魚であるため、ビタミンB12、ビタミンDが豊富で鰻同様に夏バテ防止になります。こうしたことから京都では夏に鱧を食べる習慣となったようです。

なお、京都以外で鱧をあまり食べない理由は「骨切り」が難しいということが理由の様です。鱧は小骨が多く硬いため、「骨切り」をしないと食べられません。この「骨切り」には熟練の技が必要になるため、鱧料理が盛んな京都以外には「骨切り」をできる調理師が少なく鱧料理は京都以外にあまり広がらないようです。

鰻は年々漁獲量が減少し、価格も高騰しています。鰻の価格高騰が続けば、「骨切り」を学ぶ調理師が増え、京都以外でも鰻の代わりに鱧を食べることになるかもしれません。

 

夕食は京都駅ビルの「接方来(せっぽうらい)」でいただきました。15時から17時までアルバイトの採用面接を行い、そのまま2人で一緒に「接方来」で食事をしました。2人だったので、多くの種類の料理を食べることができました。「接方来」とは「来る人拒まず」の意味だそうです。「接方来」は京野菜料理の店です。とても便利な場所にあるにもかかわらず、手ごろな料金と美味しい料理で大満足でした。

私が注文したのは「賀茂茄子と牛肉の醤油焼」、「万願寺焼浸し」、「京野菜と海老の湯葉巻」、「京湯葉春巻」、「京生麩の田楽」、「鱧おとし」、「蓮根と海老のかき揚げ」、「黒毛和牛冷しゃぶサラダ」、「すずきカルパッチョ」です。

賀茂なすは最も有名な京野菜と言っていいでしょう。今回は田楽ではなく、「賀茂茄子と牛肉の醤油焼」として食べました。賀茂茄子を牛肉と一緒に食べるのは初めての経験でしたがとても美味しい料理でした。

賀茂茄子と牛肉の醤油焼

万願寺とうがらしは大正末期から昭和初期にかけて京都府舞鶴市万願寺地区にて伏見系のトウガラシとカリフォルニア系のトウガラシを交配して誕生したものと言われています。肉厚でボリュームがあり、とうがらしなのに辛みはないことが特徴です。「万願寺焼浸し」もとても美味しかったです。

万願寺焼浸し

「湯葉」と「生麩」は精進料理によく使われます。仏教寺院が多い京都の郷土料理として考えていいでしょう。「湯葉」は約1200年前の平安時代に最澄が唐から持ち帰ったといわれています。一方、「麩」も室町時代(1336年~1573年)初期に明から渡来した禅僧によって製法が伝来したとされます。いずれも最初から仏教関連の食材でした。

接方来

接方来

接方来

「鱧おとし」は鱧の湯引きのことです。湯引きの際に熱湯の中に鱧を「落とす」ので、「鱧おとし」という料理名となったようです。昼食時はそうめんと一緒に食べましたが、夕食でも注文してしまいました。

鱧おとし

今回注文した料理では「蓮根と海老のかき揚げ」、「黒毛和牛冷しゃぶサラダ」、「すずきカルパッチョ」は京都の料理ではありません。美味しそうだったので注文したのですが、3品ともとても美味しかったです。

接方来

接方来

接方来

 

注意点

伏見稲荷大社は私が訪問した9時過ぎでも大混雑でした。伏見稲荷大社を混雑を避け観光するには早朝に行く方がいいと思います。伏見稲荷大社には24時間入場できますが、お札やお守り、御朱印などの取り扱いは8:00から17:30となります。

東寺の開門時間は5:00、閉門時間は17:00です。ただし、金堂・講堂は8:00~17:00(16:30に受付終了)、宝物館、観智院は9:00~17:00(16:30に受付終了)となります。

東福寺の拝観時間は4月~10月末までが9:00~16:00(16:00に受付終了)、11月~12月 第1日曜日までが9:00~16:00(16:00に受付終了)、12月 第1月曜日~3月末が9:00~15:30(15:30に受付終了)と変則的です。

私が6月9日に訪問した3つの有名観光地はそれぞれの拝観時間に合わせて効率よく観光する必要があります。順番としては伏見稲荷大社、東福寺、東寺の順番がいいのではないでしょうか。

 

7、6月10日(金曜日)3日目

6月10日は朝から京都府南丹市の美山へ行きました。

美山診療所のバス停で降り、京都丹波高原国定公園ビジターセンターで自転車を借りて、「かやぶきの里」へ行きました。

「かやぶきの里」まで自転車で約20分かかりました。美しい山々や田園風景をを見ながら田舎道を走るサイクリングはとても気持ちのいいものでした。

「かやぶきの里」は国の重要伝統的建造物群保存地区です。また、UNWTO(国連世界観光機関)から2021年の「ベスト・ツーリズム・ビレッジ」の認証を受けました。

かやぶきの里

「かやぶきの里」には今でも茅葺の民家が多く残ります。50軒ある民家のうち39棟が茅葺き屋根です。ただし、世界遺産の白川郷には100軒以上の茅葺屋根(合掌造り)の民家があるため、規模の面では「かやぶきの里」にどうしても見劣り感は否めません。一方、白川郷ほどの大観光地ではないため、「かやぶきの里」はとても静かでゆっくり散歩を楽しめます。

かやぶきの里

15年に一度ほどのペースの茅葺の葺き替えには一軒あたり1,000万円近くかかると住民の方にお聞きしました。国の重要伝統的建造物群保存地区であるため、国から8割の補助金が出るものの、居住者の金銭負担はとても重いということも学びました。

かやぶきの里

美山民俗資料館は「かやぶきの里」の中央部にある資料館です。江戸時代や明治時代、大正時代など昔の着物や遊具、脱穀機などを見ることができます。屋根裏部屋も見ることができるので、美山民俗資料館では茅葺家屋の内部を一通り学ぶことができます。

美山民俗資料館

美山民俗資料館

美山民俗資料館

 

「かやぶきの里」近くにある知井八幡神社は1071年に創建されました。現在の本殿は1767年に再建されたものです。本殿の彫刻により丹波地方を代表する神社としての名声を集めました。また、美山は福井県小浜と京都を結ぶ鯖街道(若狭街道)の途中にあたり、魚介類などを運搬する行商人などで賑わったようです。京都府指定文化財です。

知井八幡神社

知井八幡神社

知井八幡神社

知井八幡神社の能舞台は本殿と鳥居の間に一直線に並んでいます。そのため、本殿から見ると能舞台の中から正面の山々が綺麗に見えて、素晴らしい景色でした。

知井八幡神社

小林家住宅は国の重要文化財です。1816年に建設されました。小林家は園部藩の代官を勤めた旧家でした。

小林家住宅

 

日吉駅から京都駅経由で名古屋駅へ行きました。名古屋へ行ったのは大学時代の友人と久しぶりに再会するためです。

名古屋に到着後、友人と会うまで時間があったので、名古屋市役所などを見学しました。

名古屋市役所本庁舎は1933年に竣工しました。政令指定都市では京都市役所の1927年に次ぐ古い市役所です。近代的なビルに和風の瓦屋根がある変わった建物です。設計は大阪府庁舎も手掛けた平林金吾です。国の重要文化財に指定されています。

名古屋市役所

愛知県庁舎は1938年に竣工しました。名古屋城大天守風の屋根を乗せたかなり変わった形のビルです。名古屋市役所本庁舎の隣に建ち、国の重要文化財に指定されています。

愛知県庁舎

名古屋城は名古屋市役所、愛知県庁舎から徒歩5分ほどの場所にあります。今回は17時までしか見学できない名古屋城は見られませんでした。以前、名古屋に行った際に名古屋城に虹がとても綺麗にかかっていたので写真を掲載します。愛知県庁舎と比べてみるとほとんど同じ色合いの屋根であることが分かります。なお、名古屋城の3つの櫓なども国の重要文化財に指定されています。

名古屋城

友人との夕食に向かう前に「ナナちゃん人形」を見に行きました。名鉄百貨店ヤング館の前に立つ身長610cm、体重600kgの巨大マネキンです。

ナナちゃん人形

 

食事

お食事処 きたむら」で「もり蕎麦」(840円)、「卵かけご飯」(320円)、「地鶏肝煮」(430円)、「鹿肉のしぐれ煮」(430円)を食べました。「かやぶきの里」に到着して、散策前の腹ごしらえです。

「もり蕎麦」は一番人気の蕎麦です。美山で収穫した蕎麦を石臼で挽いたそば粉を使用しています。毎日、店内で手打ちで作られた蕎麦となります。手打ち蕎麦にもかかわらず、とても細い麺できっちりと仕事をしていると感じさせられました。蕎麦の量は少し少な目でしたが、とても美味しい「もり蕎麦」でした。

もり蕎麦

「卵かけご飯」は地元でとれたばかりの卵を使ったもので、濃厚な卵の黄身が堪りませんでした。

卵かけご飯

卵かけご飯

「地鶏肝煮」、「鹿肉のしぐれ煮」に使用される地鶏、鹿肉も美山で獲れたものです。滋味あふれる地元産の肉でとても美味しかったです。「お食事処 きたむら」の横を流れる美山川(由良川)を見ながらテラス席で新鮮な空気を吸いながら地元産の食材を使用した朝食を食べたのはとてもいい経験でした。とても豊かな気持ちになりました。

地鶏肝煮、鹿肉のしぐれ煮

 

「かやぶきの里」の散策を一通り楽しんだ後、「カフェ美卵(Cafe Milan)」でプリンを食べました。「カフェ美卵(Cafe Milan)」は「かやぶきの里」にある中野養鶏場の卵直売所であり、カフェでもある店です。美山民俗資料館のすぐ近くにあります。中野養鶏場は「お食事処 きたむら」の近くにあります。

カフェ美卵

プリンは濃厚な卵と牧場の原乳が素材の手作りです。プリンは上から見ると卵のように見え、ビジュアル面でも美味しそうでした。「かやぶきの里」の景色を眺めながらテラス席で食べたプリンはとても美味しく感じました。

カフェ美卵

 

「かやぶきの里」の散策を満喫した後、自転車で約20分の京都丹波高原国定公園ビジターセンターまで戻り、「たけよし」で鮎料理を食べました。

美山川(由良川)は美味しい鮎が獲れることで有名です。美山川には鮎の餌となる良質の珪藻類が生えるので美味しい鮎に育つそうです。2022年は5月28日に鮎の友釣りが解禁しました。なお、鮎の網漁は8月21日に解禁予定です。

「たけよし」は鮎料理を予約無しで食べられます。私が「たけよし」で食べたのは「鮎塩焼き」(1,200円)と「鮎の姿寿司」(1,200円)、「うるか」(200円)です。

「鮎塩焼き」は鮎料理で最も有名な食べ方です。私が美山に行った6月10日は鮎漁の解禁(5月28日)直後ということもあり、まだ鮎は小型でした。それでも、全く臭みがないとても美味しい「鮎塩焼き」でした。

鮎塩焼き

私の記憶にある限り、「鮎の姿寿司」を初めて食べたと思います。「鮎の姿寿司」は鮎の頭まで食べます。そのため、鮎漁の解禁直後の小型の鮎のほうが頭が柔らかく、美味しく食べられます。私が食べた「鮎の姿寿司」もとても美味しい寿司でした。「鮎塩焼き」以外の新たな食べ方を試すことができて良かったです。

たけよし 鮎姿寿司

たけよし 鮎姿寿司

「うるか」は鮎の内臓の塩辛です。「たけよし」の「うるか」は豆腐の上に載せて提供されました。鮎は内臓を食べることができる数少ない魚類です。それは鮎のエサが人間が食べても害がない藻類だからです。鮎の内臓にはビタミンAが豊富です。少し苦味がありますが、「うるか」は鮎漁の解禁時期しか食べられない夏の珍味として試してみる価値はあると思います。

うるか

「たけよし」は普通の食堂のように見える地味な外見の店ですが、味も接客も素晴らしかったです。京都丹波高原国定公園ビジターセンターのすぐ近くにあるので、多くの人に行っていただきたい店です。

 

名古屋に移動し、駅のホームで「住よし」のきしめんを食べました。私は名古屋駅ホームにある「住よし」のきしめんが大好きで、名古屋に来るたびに必ず食べています。海老天ぷらと温泉卵が乗ったきしめんが500円とはとてもお得ではないでしょうか。いつも変わらぬ「住よし」のきしめんの味に大満足でした。

「住よし」のきしめん

名古屋を少し散策した後、大学時代の友人と「かぶと」で食事をしました。「かぶと」は名古屋駅近くの新幹線高架下にあるカウンター席だけの大人気居酒屋です。私たちが訪問した6月10日も大混雑でした。私たちはゴリ(カジカ)の天ぷら、揚げ出し豆腐、つみれ揚げ、刺身盛り合わせ(写真は無し)などを食べ、大満足の夕食となりました。

かぶと

かぶと

かぶと

「かぶと」の外では多くの空席待ち客が並んでいたので、さっと切り上げ、「かぶと」のすぐ近くの「居酒屋 鶴八」で飲みなおしました。「居酒屋 鶴八」は名古屋郷土料理を多く提供する居酒屋で、私たちは「手羽先の唐揚げ」、「どて煮」を注文しました。

名古屋周辺では「手羽先の唐揚げ」がよく食べられます。その発祥は「風来坊」と言われています。1963年に北九州小倉から名古屋にやって来た「風来坊」創業者の大坪健庫氏が「手羽先の唐揚げ」を開発しました。大坪健庫氏は若鶏の半身を「ターザン焼き」として看板メニューにしていましたが、ある日、仕入先に若鶏の注文が入っていませんでした。苦肉の策で手羽先を揚げ、「ターザン焼き」のタレにつけたところ、大ヒットしたとのことです。私にとっては、「風来坊」のタレは少し甘すぎるので、「風来坊」の「手羽先の唐揚げ」は好みではありません。しかし、名古屋に「手羽先の唐揚げ」を広げた貢献度が大きいと思います。

手羽先の唐揚げ

「どて煮」も名古屋名物です。牛すじやモツを八丁味噌でじっくりと煮込んだ料理です。私にとっては「どて煮」も少し甘く感じるので、普通のもつ煮込みのほうが好きですが、名古屋に来たら、頼まないわけにはいきません。

どて煮

注意点

南丹市営バスは乗車の際に行先を言ってから乗車します。運賃先払いです。日本語が分からない外国人旅行者にとっては乗車方法は難しいかもしれません。なお、車内で買える一日券(1,200円)があるので、自転車を借りずに公共交通機関で移動する人にはお得です。

美山では予約無しで鮎を食べられる店は5軒しかないので注意が必要です。

 

 

 

(注:文中に掲載している交通機関の出発・到着時間や運賃、入場料、食事の料金などはBLOG執筆時のものです。今後変更する可能性がありますので、旅行に行く際にご自身でご確認ください。)

 

 

 

 

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