福島県の地方鉄道②(JR只見線、JR磐越西線)
目次
1:阿武隈急行
2:福島交通飯坂線
3:飯坂温泉
4:鉄路と生きるシンポジウム
5:JR磐越西線
6:一日目夕食
7:JR只見線
8:早戸温泉つるの湯
9:鶴ヶ城
10:さざえ堂
11:二日目夕食
7:JR只見線
2日目の朝に、前日の「鉄路と生きるシンポジウム」でメインテーマとして取り上げられていたJR只見線に乗りました。只見線は会津若松駅から新潟県の小出駅までを結ぶJR東日本の路線です。営業距離は135.2 kmになります。2011年7月の豪雨により複数の橋梁が流失するなど大きな被害が出て、会津坂下駅 – 小出駅間が不通となりました。2022年10月に、豪雨災害以降初めて全線が復旧しました。その後、多くの観光客が只見線に乗車して、休日などは東京の山手線のような混雑になることもあるそうです。
「鉄路と生きるシンポジウム」でも前日の「麦とろ」のご主人も「只見線は混む」と言っていたので、早めに会津若松駅へ向かいましたが、全く混んでおらず拍子抜けしました。通学の学生たちが下車した後は、私の乗車した車両は私一人となりました。あとで聞くと平日の雨の日は乗客がほとんどいないようです。ただ、只見線が走る鉄路の横には山が迫る箇所もあり、新緑のトンネルを列車が走っているような不思議な感覚を楽しめました。
なお、JR東日本では只見線の一部路線の営業成績も公表しています。会津若松駅ー会津川口駅間と、只見駅ー小出駅間の運輸収入は9,600万円に対し、営業赤字は21.05億円と先述の磐越西線同様に極めて厳しい経営状況です。また、1987年度から2021年度までの同区間の乗客数は59%減(1日当たりの乗客数が2,864人から1,171人へ減少)と厳しい状況です。全線復旧後、休日における日本人観光客誘致には成功しましたが、平日の乗客の少なさを補うためにも外国人観光客の誘致は必須ではないでしょうか。
余談ですが、「只見線ポータルサイト」は私が知る限り、鉄道関連のWebサイトとして最高のクオリティーだと思います。きれいな写真と様々な情報が掲載されており、サイトの見やすさも抜群です。只見線に対する愛情が伝わってきます。唯一残念なことは、外国語表示がPDFによるガイドブックしかないことです。PDFはスマートフォンで見にくいため、外国人旅行者が現地でガイドブックを見るのは難しいかもしれません。担当者の方には、外国人旅行者がスマホで見やすいサイトを是非ご一考頂きたいです。
8:早戸温泉つるの湯
当初は会津宮下駅で下車し、レンタサイクルを利用して第一只見川橋梁を見学する予定でした。しかし雨天だったため予定を変更し、前日の「麦とろ」のご主人に教えてもらった「早戸温泉つるの湯」へ行きました。「つるの湯」は早戸駅から徒歩10分弱の距離にある温泉です。
「つるの湯」には、約1,200年前に鶴が温泉に入り傷ついた足を治したという言い伝えがあります。鉄分を含むため、お湯は黄褐色で源泉かけ流しの温泉です。特に外傷、手術後の回復に大きな効果がある天然薬湯温泉と言われています。
この「つるの湯」では絶景に出合えました。その絶景とは川霧がかかった只見川です。川霧は露天風呂まで到達し、雲の中で温泉に浸かっているような不思議な体験でした。人生で一番素晴らしい温泉体験だったかもしれません。この川霧は雨天時に出やすいようです。雨天時こそ只見線に乗って「つるの湯」へ行くべきでしょう。前日に熊の手を触らせてもらったことで早速翌日に「いいこと」がありました。「つるの湯」を教えてくれた「麦とろ」のご主人に感謝です。
入浴後、「つるの湯」の食事処で昼食をとりました。私が頂いたのは「つるの湯ラーメン」と「ミニソースカツ丼」です。「つるの湯ラーメン」は温泉をスープに使用した塩ラーメンです。普通の塩ラーメンとは異なり素朴な味わいで、体が中から健康になるような美味しいラーメンでした。温泉を多く飲んではいけないということで、「つるの湯ラーメン」はハーフサイズのラーメンです。
「ソースカツ丼」は「若松食堂」が1930年に初めて提供した会津若松市の名物料理です。日本で最初に「ソースカツ丼」にキャベツを入れたのが会津若松市だそうです。少し甘めでしたがとても美味しい「ソースカツ丼」でした。
9:鶴ヶ城
「つるの湯」の入浴と食事を満喫した後、会津若松駅に戻り鶴ヶ城(会津城)へ行きました。
鶴ヶ城は、織田信長や豊臣秀吉の家臣であった戦国大名の蒲生氏郷が1590年に会津に入り、1592年に石垣や濠を備えた本格的な近世城郭を築いたことが始まりです。なお、町の名を黒川から「若松」へと改めたのも蒲生氏郷です。1868年の戊辰戦争で、会津藩士の立て篭もる鶴ヶ城は明治政府軍に包囲され砲撃を受けました。その後、天守は1874年に解体されましたが、1965年に鉄筋コンクリート造りで外観再建されました。
鶴ヶ城の天守は鉄筋コンクリート造りではありますが、日本の多くの城の中でもとても美しい天守だといえます。多くの観光客が何枚も写真を撮っていました。
鶴ヶ城ではボランティアの方が無料でガイドをしてくれます。観光客にはとても有難い制度です。
10:さざえ堂
鶴ヶ城の後に、さざえ堂へ行きました。会津若松市内には観光客向けの「まちなか周遊バス」があるのですが、その多くが東山温泉を経由するので、東山温泉に行く必要がない私のような観光客は時間の無駄に感じました。ちなみに、鶴ヶ城から直接さざえ堂へタクシーで向かうと約15分ですが、東山温泉を経由する「まちなか周遊バス」を利用すると35分もかかります。
さざえ堂は白虎隊の墓所がある飯盛山の中腹に建つ高さ16.5mの仏堂です。1796年に建てられました。正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)です。
平面六角形の建物の内部には二重らせん構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下る斜路が別々に存在します。入口から最上階まで上り、他者とすれ違うことなく、出口まで降りることができます。この構造のおかげで堂内を進むだけで巡礼が叶うようになっています。この不思議な構造により、さざえ堂は国の重要文化財に指定されています。
鶴ヶ城には多くの観光客がいましたが、さざえ堂には誰もいませんでした。「まちなか周遊バス」の不便さが影響しているのでしょうか。貴重な建物だけに残念です。
さざえ堂近くの「旧滝沢本陣」にも行きました。「旧滝沢本陣」は参勤交代などの際、殿様の休息所でした。また、戊辰戦争の際に会津藩の本営ともなりました。建物のあちらこちらには弾痕や刀傷があります。「旧滝沢本陣」は1678年の建築で、国の重要文化財に指定されています。
11:二日目夕食
会津若松市内の観光を終え、元祖「輪箱飯(わっぱめし)」で有名な郷土料理店「田季野」で夕食をいただきました。「輪箱飯」は薄い木の板を曲げた器に会津米とさまざまな食材を入れて蒸し上げた会津の伝統的な郷土料理です。新潟県の郷土料理でもあります。
私は「田季野」で「輪箱飯」と「会津蕎麦」の会津セットを注文しました。「会津蕎麦」は長ネギを箸がわりに使って食べる大内宿独特のそばです。大内宿は福島県南会津郡にある、江戸時代の姿が残る素晴らしい宿場町です。長ネギを箸がわりにしてそばを食べるのは正直言って食べにくいです。ただ、観光の際に食べるのはイベント色があってとてもいいと思います。私は「輪箱飯」のほうが断然美味しかったです。
「田季野」では他に「こづゆ」と「いかにんじん」を食べました。両方とも福島県の郷土料理です。「こづゆ」は農林水産省の「郷土料理百選」、「いかにんじん」は「うちの郷土料理」に選定されています。「こづゆ」は会津塗の器に、貝柱のだしで煮込んだキクラゲ、わらび、里芋など、多くの具材を盛りつけた郷土料理です。「いかにんじん」はスルメ(干しイカ)とにんじんを細切りにして甘いたれに漬けた郷土料理です。「いかにんじん」は北海道の松前漬けに似た食べ物です。私が前日に食べたニシンの山椒漬けに使われるニシンも、北海道から新潟を経て阿賀野川で会津に運ばれてきました。この「いかにんじん」もスルメイカという内陸の会津地方では採れない海産物を使用していることから、北海道、新潟、阿賀野川、会津という流通ルートにより誕生した郷土料理と言えるでしょう。
「田季野」の後に、どうしても馬刺しを食べたくなり、「居酒屋弘竜」で桜刺し、桜ユッケ刺し、桜白モツ刺しを食べました。とても美味しい桜肉でした。なお、馬肉が桜肉と呼ばれるのは、江戸時代に禁止されていた獣肉を食べることを隠すために、馬肉は「桜」、猪肉は「牡丹」、鹿肉は「紅葉」など、隠語として広まったなど諸説あります。
大満足の夕食を終え、会津若松駅から郡山駅を経て新幹線で上野駅へ戻りました。途中のJR磐越西線(会津若松駅から郡山駅間)では、カモシカが線路上に現れた為に電車が暫し止まるなど、豊かな福島の自然を感じさせる帰路でした。