6月の日本旅程2日目(京都府)
(6月9日 木曜日)
目次
1、東寺(教王護国寺)
6月9日は朝8時に東寺(教王護国寺)へ行きました。東寺は「古都京都の文化財」の構成資産として世界遺産に登録されており、金堂、五重塔などは国宝建造物に指定されています。東寺の五重塔は新幹線からも見えるため、京都を訪問する人々に最も見られている寺といえるでしょう。
東寺の創建は796年です。平安京鎮護のための官寺として建立されました。その後、823年に嵯峨天皇が空海(弘法大師)に東寺を下賜し、空海は真言密教の根本道場としました。東寺は唯一の平安京の遺構です。火災が何度かあったため、東寺には創建当時の建物は残っていません。しかし、南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままです。
国宝の金堂は1603年に豊臣秀頼の寄進により再建されました。建築様式は和様と大仏様(天竺様)が併用されています。本尊の薬師如来坐像の高さは288センチメートルもあります。落ち着いた表情でとても魅力的でした。いつまでも薬師如来坐像を眺めていたいような気持になりました。薬師如来坐像は国の重要文化財です。
国の重要文化財である講堂は1491年の再建です。講堂内には合計21体の仏像群からなる立体曼荼羅が構成されています。21体のうち、16体は国宝、5体は国の重要文化財です。金堂内部には薬師如来および両脇侍像の3体のみの仏像なのでとても落ち着いて鑑賞できたのですが、講堂内の21体は多過ぎて落ち着いて鑑賞することができませんでした。私は金堂内部の方が好きです。
国宝の五重塔は雷火や不審火で4回焼失しましたが、1644年に徳川家光によって再建されました。五重塔の高さは54.8メートルと木造塔としては日本一の高さとなります。黒を基調としたとても美しい五重塔です。五重塔の一番下の屋根の支えているのが邪鬼(天邪鬼)となります。四隅で支えています。
東大門は1336年に新田義貞に攻められた足利尊氏がこの門を閉めて難を逃れたという故事により不開門(あかずのもん)と呼ばれています。国の重要文化財です。
東寺の実質的な入口である慶賀門も国の重要文化財です。
今回、9時前には東寺を発ったので、9時開園の観智院(国宝)には行けませんでした。次回は観智院にも行ってみたいと思います。
2、伏見稲荷大社
朝からの東寺見学で大満足した後に、自転車を借り、伏見稲荷大社に行きました。レンタサイクル代は変速機付き自転車で1日1,300円でした。ただし、電動アシスト付き自転車だと1日2,300円となります。京都は観光地だけあって、他の観光地よりも割高感があります。ただし、ここ1年間で私が利用した最も料金が高いレンタサイクルは北海道の美瑛町でした。電動アシスト付き自転車が1日3,000円もしました。
伏見稲荷大社は千本鳥居の存在などにより国内外の観光客に大人気の観光地です。私は初めて行きました。東寺から伏見稲荷大社まで自転車で約15分でした。伏見稲荷大社の最寄り駅はJR西日本の稲荷駅となります。稲荷駅から伏見稲荷大社の大鳥居まで徒歩1分です。
伏見稲荷大社は平日の朝9時過ぎだったにもかかわらず、主に修学旅行生で大混雑でした。これで外国人観光客が戻ってきたらどうなるのか心配になりました。
伏見稲荷大社は全国に約3万社ある稲荷神社の総本社です。伏見稲荷大社の創建は和銅年間(708年 – 715年)と古く、「枕草子」や「今昔物語集」などにも登場します。東寺の造営の際に鎮守社となり、真言密教と結び付いて信仰を拡大しました。今でも稲荷祭の最終日に東寺の僧侶が慶賀門の前に供物を並べ読経をあげる儀式があり、両社寺の深い関係が続いています。
伏見稲荷大社の楼門、本殿、外拝殿などは国の重要文化財です。
先述のように、多くの観光客であふれかえっていましたが、奇跡的に千本鳥居では観光客が全くいなタイミングに遭遇しました。そのため、人が全く映らない写真を撮ることができました。
3、宝塔寺
伏見稲荷大社の多すぎる観光客に辟易し、自転車で5分弱の距離にある宝塔寺に行きました。宝塔寺には観光客はいませんでした。
宝塔寺は藤原基経(日本史上初の関白)が嘉祥年間(848年 – 851年)に発願した真言宗の極楽寺が前身とされています。源氏物語の舞台の一つでもあります。
本堂は1608年に再建されました。日蓮宗寺院の本堂としては京都で最古の建物です。国の重要文化財に指定されています。
多宝塔は室町時代の1439年以前の建立です。京都で一番古い多宝塔となります。高さが11.4メートルと少し小ぶりの多宝塔ですが、とてもすっきりとしたバランスが良い塔です。多宝塔も国の重要文化財です。
室町時代(1336年~1573年)に建立された総門も国の重要文化財です。
4、東福寺
宝塔寺の次に、東福寺へ行きました。自転車で10分弱かかりました。
東福寺の創建は1236年です。寺名は奈良県の奈良の東大寺、興福寺の二大寺の「東」と「福」の文字を取り、東福寺と名付けられました。摂政九条道家(鎌倉幕府4代将軍の藤原頼経の父)が京都最大の大伽藍を造営し、東福寺を建立しました。室町幕府の第3代将軍足利義満が定めた「京都五山(臨済宗の寺院の寺格)」に東福寺が第4位の寺格として選ばれています。なお、「京都五山」とは別格の南禅寺、第1位の天龍寺、第2位の相国寺、第3位の建仁寺、第5位の万寿寺です。
三門は1425年に室町幕府の第4代将軍足利義持によって再建された国宝です。現存する禅寺の三門としては日本で最古かつ最大の門です。高さは約22メートルにもなります。
本堂は1934年に再建されました。昭和時代の木造建築としては最大級の建物です。本坊庭園「八相の庭」に囲まれる方丈は1890年の再建です。
東司(とうす)は日本で最大最古の禅宗式の便所の遺構です。国の重要文化財に指定されています。経蔵は1794年の再建です。
本坊庭園「八相の庭」は国の名勝です。造園家、重森三玲によって1939年に作庭されました。枯山水庭園はいつまでも眺めていられるのではないか、と思わせるような見事な庭園でした。
拝観料:大人500円、小人300円
共通拝観券(本坊庭園・通天橋・開山堂):大人1,000円、小人500円
通天橋は本堂から開山堂を結ぶ橋廊です。秋の紅葉時期には京都でも屈指の眺望を誇ります。
開山堂は開山である円爾弁円(聖一国師)の尊像が安置されています。国の重要文化財に指定されています。開山堂前の庭園も見事でした。
通天橋と開山堂の近くにある愛染堂は1937年に「京都五山」であった万寿寺より移されました。丹塗りの杮葺き八角円堂です。禅宗特有の落ち着いた色合いの建物ばかりの東福寺の中で赤い愛染堂は目立ちます。国の重要文化財です。
拝観料:大人600円、小人300円
共通拝観券(本坊庭園・通天橋・開山堂):大人1,000円、小人500円
禅堂は1347年に再建されました。現存する最大最古の禅堂です。700年近く前の建立とは思えないほど、綺麗な外観でした。国の重要文化財です。
偃月橋(えんげつきょう)は1603年に再建された木造橋廊です。通天橋と異なり、無料で通行できます。国の重要文化財に指定され、日本百名橋にも選ばれています。
東福寺は京都屈指の大伽藍だけあり、全て見学するには2時間程度かかりました。とても見応えのある禅宗寺院でした。
5、最勝金剛院・芬陀院(雪舟寺)
最勝金剛院は九条家の墓を管理するために再興された東福寺の特別由緒寺院です。八角堂は九条兼実の廟所です。九条兼実は摂政・関白・太政大臣の官位を持ちました。東福寺を建立した九条道家の祖父にあたり、九条家の祖です。
芬陀院(ふんだいん)は東福寺の塔頭(たっちゅう)です。塔頭とは祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵などの小院です。芬陀院は元亨年間(1321年~1324年)に一条経通が父一条内経のため、定山祖禅(じょうざんそぜん)を開山として創建されました。摂関家(近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家)の一条家の菩提寺です。
芬陀院の南庭と東庭は水墨画で有名な雪舟が作庭したと伝わる枯山水庭園です。そのため、芬陀院は雪舟寺とも呼ばれています。
芬陀院拝観料:高校生以上300円、中学生・小人200円
6、雲龍院
芬陀院の次に、雲龍院へ行きました。自転車では10分程度かかりました。雲龍院は後述する泉涌寺の別院です。南北朝時代、北朝の後光厳天皇の勅願により、竹巌聖皐を開山として1372年に創建されました。
龍華殿(本堂)は後円融天皇から写経の功徳を信奉されて以来、写経道場として信仰を集めてきました。私の訪問時も写経をされている方がおられました。龍華殿は寛永年間(1624年~1644年)の再建です。国の重要文化財に指定されています。龍華殿とともに写真に写っている灯篭は江戸幕府最後の将軍の徳川慶喜の寄進です。
霊明殿は1868年再建の皇族の位牌堂です。
蓮華の間では色紙サイズの4つの窓があり、「しきしの景色」と呼ばれる美しい庭の景色を見ることができます。
書院悟之間の窓は「悟りの窓」と呼ばれており、四季により違った風景を楽しめます。
大輪の間には赤穂浪士の筆頭家老(指導者)であった大石内蔵助の「龍淵」の書があります。山科に閑居していた大石内蔵助は泉涌寺塔頭の来迎院で旧赤穂浪士と討ち入りの密儀を行っていたといわれています。
雲龍院は「しきしの景色」や「悟りの窓」以外にも魅せる工夫が随所にみられ、見学が楽しい寺院でした。写真撮影は禁止されている「走る大黒天尊像」は必見です。大黒様の印象が変わると思います。
拝観料:400円
7、泉涌寺
泉涌寺は雲龍院のすぐそばにあります。真言宗泉涌寺派の総本山の寺院です。泉涌寺の名は敷地の一角から清水が湧き出たことが由来です。多くの天皇の葬儀を執り行うなど皇室との関連が深く「御寺(みてら)」とも呼ばれています。泉涌寺のドメインもmitera.orgです。創建は856年とされていますが諸説あります。
泉涌寺の正門となる大門は京都御所の南門を寛永年間(1624年~1645年)に移築したものです。国の重要文化財に指定されています。多くの神社仏閣は正門から本堂や仏殿に向かって坂や階段を登る形となりますが、泉涌寺は坂を下る形となっているところが珍しいと思います。
仏殿は1668年に江戸幕府の第4代将軍徳川家綱の援助で再建したものです。国の重要文化財に指定されています。
仏殿の背後に建つ舎利殿は慶長年間(1596年~1615年)に京都御所の建物を移築・改装したものです。
霊明殿は天智天皇と光仁天皇から昭和天皇に至る歴代天皇皇后の位牌を安置しています。現在の霊明殿は1884年に明治天皇の勅命により再建されされました。
泉涌水屋形は1668年の再建です。京都府の有形文化財に指定されています。泉涌寺の名前の由来となった泉を覆う屋形です。
拝観料金:大人500円、子供300円
(注:文中に掲載している交通機関の出発・到着時間や運賃、入場料、食事の料金などはBLOG執筆時のものです。今後変更する可能性がありますので、旅行に行く際にご自身でご確認ください。)