3月の日本旅程3日目(広島県)
(3月24日 木曜日)
目次
1、たけはら町並み保存地区
3月24日の朝に、広島駅からバスで「たけはら町並み保存地区」へ向かいました。私が利用したバスは以下の通りです。
広島駅8:34発 芸陽バス 忠海駅前行 竹原駅9:38着 運賃1,210円
竹原駅から「たけはら町並み保存地区」までは徒歩10分強です。私は竹原駅まで行きましたが、広島駅からは竹原中央のバス停で降りたほうが「たけはら町並み保存地区」まで近いです。
なお、広島駅から竹原駅まではバスではなく、JRでも行くことができます。ただし、JRは入り組んだ海沿いを運行しているので、所要時間は高速バスの2倍の2時間以上かかります。広島駅から竹原駅までJRで行くなら、途中の呉に寄って呉を観光するのがいいと思います。
また、竹原市の竹原港と忠海港から船で渡る大久野島は国内外の観光客に人気です。大久野島には500~600羽以上にも及ぶ野生のうさぎが生息しています。ただし、現在は竹原港と大久野島を結ぶ路線は運休しています。
「たけはら町並み保存地区」は国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。竹原は平安時代に、京都・下鴨神社の荘園として栄えました。京都との歴史的な関わりから、竹原は「安芸の小京都」と呼ばれています。江戸時代には製塩地として発展しました。
現在でも江戸時代の街並みが残っており、落ち着いた風情があります。特に、「たけはら町並み保存地区」のいい部分は住民が今でも居住しながら街並みを保存している点です。重要伝統的建造物群保存地区はお土産屋や飲食店が多く騒々しい地区もありますが、竹原は江戸時代の街並みを偲びながら静かに散歩することができます。いい意味で観光地ずれしていない場所が竹原だと思います。
「たけはら町並み保存地区」には飲食店は少ないので、近くにある「道の駅」で買い物や飲食をするといいでしょう。
地蔵堂は竹原が江戸時代に塩田業が盛んだった頃、地区の守り神として祭られていました。現在の地蔵堂の建物は1927年に再建したものです。
不老山・春秋院長生寺は1587年に小早川隆景が建立しました。現在の本堂は1962年の建築で、境内には金毘羅社、大師堂、庚申堂があります。
2、竹鶴酒造
「たけはら町並み保存地区」には竹鶴酒造があります。ニッカウヰスキーの創業者で、「日本のウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝の生家です。ウィスキーの「竹鶴ピュアモルト」は世界的に人気があり、品薄状態が続いています。私も大好きなウィスキーです。
竹鶴酒造は1733年創業の老舗酒蔵で、今でも「小笹屋」の屋号で日本酒を作っています。現在販売している日本酒は「清酒竹鶴」、「雄町純米にごり」、「純米秘傳」などです。
3、春風館・復古館
「たけはら町並み保存地区」にある国の重要文化財は「春風館」と「復古館」の2軒です。
「春風館」は頼山陽の叔父で頼春風の邸宅でした。頼春風は医学と儒学を大阪で学んだ後、故郷竹原に戻り医業を開業し、1781年に春風館を建築しました。現在の建物は1855年に再建されたものです。残念ながら、内部の見学はできません。
なお、頼山陽は江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人です。主著である「日本外史」が幕末の尊皇攘夷運動に影響を与えました。ちなみに、頼山陽の父春水は竹原で生まれ育ちましたが、頼山陽は大阪生まれ、広島育ちで、竹原には住んでいません。
「復古館」は頼春風の養子であった小園が1859年に息子を分家、独立させたのが復古館の始まりです。春風館の西側に隣接しています。現在の建屋は1883年の建築です。
4、尾道本通り商店街
竹原の「道の駅」から尾道駅へ公共交通機関で行きました。私が利用した公共交通機関は以下の通りです。
道の駅たけはら10:40発 芸陽バス 三原営業所行 三原駅11:41着
三原駅11:53発 山陽本線 福山行 糸崎駅11:57着
糸崎駅11:59発 山陽本線 岡山行 尾道駅12:06着 運賃合計1,280円
尾道駅到着後、昼食を食べ、尾道本通り商店街を散策しました。
尾道本通り商店街は全長約 1.2kmの日本有数の長さを誇る商店街で、商店街沿いには約 210 件の店舗があります。創業 100 年を超える老舗は 10 店舗以上残っており、古い建築物を見ながら、商店街を散歩するのは楽しかったです。ただし、残念だったのは尾道本通り商店街でも日本の多くの商店街と同様、閉まっている店舗が多かったです。観光客誘致に大成功している尾道ですら、シャッター通り商店街になっているのは残念です。
尾道本通り商店街から少し外れた通りにある旧尾道市分庁舎は元々は住友銀行尾道支店でした。1904年に建てられました。設計は東京駅丸の内駅舎や日本銀行本店を設計した辰野金吾の弟子であった野口孫市(まごいち)です。野口孫市は国の重要文化財である大阪府立中之島図書館などを設計しました。尾道市分庁舎はとてもユニークな窓の石の意匠が特徴です。
5、天寧寺(てんねいじ)
尾道本通り商店街の散策を楽しんだ後に、天寧寺(てんねいじ)に行きました。天寧寺の開基は1367年です。1388年には室町幕府初代将軍の足利尊氏の息子である第2代将軍足利義詮(よしあきら)が五重塔を建立しました。1389年には天寧寺に第3代将軍足利義満が宿泊するなど、足利幕府との関係が深い寺です。
天寧寺に行くにはJRの高架をくぐって、階段を上ります。走る列車をすぐ近くで見ることができます。下の写真は貨物列車の通過を撮影したものです。
1692年に五重塔が老朽化したため上部の2層を取り除き、現在の三重塔(高さ約20m)となりました。三重塔は国の重要文化財です。三重塔の上にある坂から眺める風景は尾道を代表する景色のひとつです。
天寧寺の山門も本堂も素晴らしいのですが、本堂の中のふすま絵は圧巻でした。
牡丹と獅子のふすま絵は日本南画界の重鎮、直原玉青(じきはらぎょくせい)氏の作品です。勢いのある獅子の絵に圧倒されました。
天寧寺の五百羅漢にも圧倒されました。前日に行った宮島の大聖院の赤い帽子を被ったかわいい五百羅漢と違い、天寧寺の五百羅漢は厳かな雰囲気がありました。
6、西國寺
天寧寺の次に、国の重要文化財である常称寺に行きたかったのですが、2016年から大規模修理中なので断念し、西國寺に行きました。天寧寺からは徒歩15分ほどの距離です。
寺伝によれば、西國寺は729年に行基がより建立されました。真言宗醍醐派大本山です。1108年には白河上皇の勅願寺となり、山陽道随一の伽藍を誇りました。現在でも尾道市の寺院の中で最大の規模を誇っています。
仁王門は広島県指定重要文化財です。1648年に建立されました。健脚を願い、2mの大草鞋が吊されています。この大草鞋の大きさにはかなり驚きました。
1386年、備後国守護大名山名氏により建立された金堂は国の重要文化財に指定されています。600年以上前の建築と思えないくらいに綺麗に残っています。
金堂と鐘楼の境内から、大師堂、毘沙門天の境内を経て階段を登ると三重塔があります。
三重塔は1429年に室町幕府6代将軍足利義教(よしのり)の寄進により建立されました。火災に遭うことなく建立時の美しい姿のまま現在に至っています。三重塔は国の重要文化財です。三重塔の場所から見る尾道の景色はとても美しいです。
7、西郷寺
西國寺の次に、徒歩10分程度の場所にある西郷寺へ行きました。
西郷寺は足利尊氏により寄進を受けて1353年に建立されました。本堂は南北朝時代の建築様式を最もよく表し、時宗最古式の本堂の遺構としてされています。本堂と山門は国の重要文化財です。
なお、本堂内に鳴龍天井があるのですが、本堂内部には入れませんでした。
西郷寺の隣には1933年建設の旧久保小学校校舎があります。2021年3月末で閉校し、88年の歴史に幕を下ろしました。今後解体される予定です。
8、浄土寺
次に、西郷寺から徒歩10分ほどの場所にある浄土寺へ行きました。浄土寺は真言宗泉涌寺派大本山の寺院です。616年に聖徳太子の創建と伝えられています。足利尊氏が九州平定や湊川の戦いの際、戦勝祈願をした寺としても有名です。
浄土寺の本堂と多宝塔は国宝です。
本堂は1327年の建立で中世の折衷様仏堂建築の代表作です。折衷様とは和様建築、 大仏様建築、 禅宗様建築の三者を折衷した様式です。兵庫県の鶴林寺本堂(国宝、1397年建立)などが浄土寺の本堂と同様に、折衷様仏堂建築の代表作です。1枚目の写真が浄土寺本堂、2枚目の写真が鶴林寺本堂です。
多宝塔は1328年の建立です。多宝塔としては日本にある6つの国宝のうちの一つです。多宝塔の形式は五重塔や三重塔と異なり、日本独自の塔です。多宝塔は平面が四角形の初層の上に平面が円形の上層を重ねた形式の塔となります。
浄土寺には山門、阿弥陀堂など多くの国の重要文化財はあります。
江戸時代に伝書鳩が裏門で飼われていたといわれており、その名残で現在でも境内には鳩が多くいます。30円の鳩のエサを買って、鳩にあげることもできます。野生の鳩ですが、手にエサを載せると鳩は手や肩にとまるほど人に慣れています。なお、裏門も国の重要文化財です。
浄土寺の参道も天寧寺の参道と同様に、JRの線路をくぐる形になっています。海がすぐ近くでいい景色です。
浄土寺は国宝や国の重要文化財が多く、境内の散策はとても楽しいものでした。ただし、尾道駅から徒歩30分と離れた場所にあるので、観光客は他に誰もいませんでした。浄土寺は離れた場所にありますが、行く価値が大いにある寺院だと思います。
9、福山城
尾道散策に満足した後、福山駅までJRで向かいました。私が利用したJRは以下の通りです。
尾道駅15:44発 山陽本線 姫路行 福山駅16:04着 運賃420円
福山駅に到着すると6番線ホームから福山城を見ることができます。ただし、天守閣(内部は福山城博物館)は大規模改修により2022年8月27日まで長期休館中です。天守閣は1966年に鉄筋コンクリート構造により再建されました。
福山駅のホームから左側に見える伏見櫓は三層三階の隅櫓です。1601年前後に建てられたと推定される京都の伏見城・松の丸の東櫓を1620年に移築したものです。水野勝成の福山城築城に当たって、徳川二代将軍秀忠が移築させました。熊本城宇土櫓と並び現存する最古の櫓のひとつです。
いつも私は不思議に思うのですが、江戸時代やそれ以前の建物の移築はどのように行われたのでしょうか。京都と福山の距離は約260kmもあります。移築ではなく、新築の方が少ない労力で済むと思います。当時の人たちは260kmもの距離を解体した木材や瓦などをどのような方法で運んだのでしょうか。
1945年の福山空襲では伏見櫓周囲は火災を免れ、福山城で唯一の現存する櫓となりました。国の重要文化財に指定されています。
福山駅のホームから右側に見える月見櫓は1966年に天守閣と同時に鉄筋コンクリートで復興されたものです。内部は御茶会などの貸会場として用いられています。
福山駅のばら公園口(南口)には「五浦釣人(いづらちょうじん)」と銘打つ釣り人の像があります。1975年、福山駅の新幹線開業記念に作られました。近代日本を代表する彫刻家の平櫛田中(ひらくし でんちゅう)の作品です。平櫛田中福山市で育ったことから、福山市名誉市民でした。
(注:文中に掲載している交通機関の出発・到着時間や運賃、入場料、食事の料金などはBLOG執筆時のものです。今後変更する可能性がありますので、旅行に行く際にご自身でご確認ください。)